Interview

2020.8.12

明治10年創業 松井機業「絹織物でやさしい気持ちを伝播する」松井さんのお話

井上 彩|Aya Inoue

ヒダクマ 取締役/CMO

こんにちは。FabCafe Hidaヒダクマの彩です。

FabCafe Hidaでは、いつもカフェに立つスタッフが、飛騨や飛騨にゆかりのある地で活躍されている人々のもとを訪れ、お話をおうかがいし、その魅力を本サイトのブログ・インタビュー記事で紹介しています。これまで、大工、木工職人、塗師、農業を営む方などに取材させてもらいました。その人の魅力や、自然との関わり方、暮らし方から発見したことを記録・発信することで、読者のみなさまに新たな出会いや交流のきっかけをつくりたい。そんな想いからはじまったシリーズ企画です。

さて、今回フォーカスするのは、富山県南砺市で明治10年創業以来一貫して絹織物業を営む松井機業の6代目松井紀子さんと松井渉さんのおふたりです。松井さんから、お仕事のこと、そもそもお蚕さんは糸をどうつくるのかといった話から絹の持つ力について、ざっくばらんにお話いただきました。

本記事では、前半に松井さんへ取材するきっかけとなった飛騨とお蚕さんとのつながりを、後半に松井ご夫妻へのインタビューをお届けします。松井さんの語るお蚕さんと人との関係から、身近な自然やものに対する見え方が少し変わるかもしれません。ぜひご覧いただけたらうれしいです。

Company profile

松井機業

明治10年創業。しけ絹1を利用したインテリア商品や斜子(ななこ)2・紋紗(もんしゃ)3などの表具地、和装用夏用襦袢として使われる駒絽(こまろ)4などの小幅織物の製造を行う。2014年には新たなライフケアブランドJOHANAS(ヨハナス)を立ち上げ、絹との新しい暮らし方を提案している。
松井機業: https://matsuikigyo.com/
JOHANAS(ヨハナス): https://johanas.jp/

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1しけ絹 通常一頭の蚕が、ひとつの繭を作るが、稀に二頭が一緒になってひとつの繭を作ることがある。 その繭を〝玉繭〟と言い、玉繭からできる〝玉糸〟を織り上げたもの。
2 斜子 「ななこ織り」の略。平織りの絹織物の一種。織り目が細かく、ななめに並ぶもの。
3 紋紗 紋模様を織り込んだ紗生地のこと。
駒絽 絽は、夏着尺用の透けた生地で、駒絽はしゃきっとした地風とさらっとした肌触りが良いのが特徴で、染下生地として需要が高い。用途は色無地や訪問着など。

はじめに、私が養蚕について知りたいと思ったきっかけをお話したいと思います。

FabCafe Hida/ヒダクマで行っている、国内外の教育機関で建築・デザインを学ぶ学生や建築家向けの合宿ツアーでのこと。ツアーでよく訪問する場所のひとつに種蔵(たねくら)という小さな集落があります。山間にある里山の風景がとても美しい種蔵では、板倉という伝統工法の木造建築を見ることができます。その集落の住居の多くは3階建てで、以前蚕を飼っていたという話を地元の方からおうかがいしました。私はお蚕さんについての知識が乏しく、地元の方がこの空間でどのようにお蚕さんを育て暮らしていたのだろう?と思いました。

  • 種蔵にある住居

  • 3階の様子。今は板を敷いているが、昔は蚕をここで飼っていたそう。

そんな折、FabCafe Hidaに来店してくれたのが松井夫妻。すでに知り合いだったFabCafeスタッフから紹介を受け、おふたりにぜひ取材させてほしいと申し出ました。

今年1月にFabCafe Hidaに来店してくれた松井夫妻。長女の晴(はる)ちゃんも来てくれました。

 

話変わって、養蚕の歴史についてほんの少し触れてみたいと思います。養蚕は、今から5000〜6000年前に中国ではじまり、日本に伝わったのは弥生時代と言われています。その後徐々に全国に広がっていきます。

明治から昭和初期にかけて生糸5は日本の輸出の70%〜40%を締め、1900年頃には世界一の生糸輸出国でした。1930年代には農家の40%が養蚕を行っていたそうです。その後、世界恐慌の影響や、低価格・大量生産のできる化学繊維の登場により、養蚕業は徐々に衰退します。

 

FabCafe Hidaのある飛騨古川にも、養蚕にまつわる話が残っています。

「三寺まいり」写真:飛騨市観光協会

飛騨古川で毎年1月に行われる「三寺まいり」は、明治・大正時代、飛騨から信州などに糸引きの出稼ぎに出ていた年頃の女性が帰省し、着飾って町中にあるお寺を巡拝したことがはじまり。若い男女の出会いの場となったことから縁結びのお参りとも言われ、今なお地元の人々に親しまれています。

約160年の歴史を持つ旅館・八ツ三館

1968年に発表、映画化もされ人気を博した小説「あゝ野麦峠ーある製糸工女哀史ー」(山本茂実著)は、飛騨地方の農家の娘が、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た時の話です。

古川にある旅館・八ツ三館は、明治時代、検番宿として多くの女工たち、出迎えの家族たちで賑わいをみせたんだそう。

取材中、松井紀子さんは「私の祖父が古川で作られた玉糸を買っていたらしく、古川(吉城)の方と富山駅で落ち合って、何十キロもある糸の受け渡しをしていたそうです。」とエピソードを話してくれました。また「渉さんのお母様側のご先祖さまが、豊橋6の玉糸の製糸工場で働いていたことをずっと誇りに思われていた。」との話も。

このように当時全国各地で盛んだった養蚕業。飛騨にもその面影はあるものの、今の生活で身近に感じる機会は少ないです。
そんな中、現在、エネルギー資源や廃棄物処理の問題、水質保全の観点から絹などの天然繊維に関心が高まっています。また絹の持つ吸湿性や放湿性、絹の持つタンパク質などの機能が注目され、健康食品、化粧品、ワクチンや抗菌物質といった衣料品以外の分野でも開発が行われています。昔とは違った形で養蚕業が盛んになる日も遠くないかもしれません。

インタビューでは、松井さんから今のお仕事に就かれたきっかけや、お蚕さんのことをやさしく教えてもらいました。私が感激したのは、おふたりのお蚕さんに対する想い・姿勢です。お蚕さんの命にまつわる松井さんの話から、自分が生きていることが見えない過去とつながっていることを強く認識させられました。同時に、見えているものからも見えないことを想像できるか?と自身に問うことの大切さを感じさせてくれました。

貴重なお話を聞かせてくれた松井ご夫妻に感謝を申し上げます。当初、私たちは松井機業さんに訪問したいと思っていたところ、コロナの影響で今回オンラインでの取材となったのですが、コロナが落ち着いた頃、ぜひ訪問したいと思っています。

(引用:財団法人大日本蚕糸会 カイコからのおくりものーーカイコとあそぼう・シルクでつくろう 2007
URL:
http://www.silk.or.jp/kaiko/kaiko_index.html )

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5 生糸 蚕の繭から取ったままで、手を加えていない糸。
豊橋市は養蚕・製糸業の先進地。糸が絡まりやすく、使い物にならなかった屑繭(くずまゆ)から生糸を紡ぎ出す方法を考案・販売することで莫大な財を得た女性起業家で玉糸製糸の祖・小渕志ち(おぶちしち)が建設した糸徳製糸工場もここにあった。

話し手:松井紀子さん・松井渉さん(松井機業)
聞き手:井上彩(FabCafe Hida/ヒダクマ)

インタビューは、2020年6月18日にZoomで行いました。

ーーはじめに自己紹介をお願いします。

紀子:私は松井機業の6代目見習いの松井紀子と申します。

ーー見習いなんですね(笑)。

紀子:はい(笑)。

渉:松井渉です。

紀子:スーパー用務員(笑)。

渉:なんでもやります(笑)。

ーー(笑)。今のお仕事に就かれたきっかけを教えてください。

紀子:私は家業なんですけれども、三姉妹の末っ子で、継ぐってことは全然思っていなかったんですが、2010年の8月に戻ってきました。そのきっかけは、2009年の秋頃、東京の渋谷で証券会社で営業をやっていまして、その時に父親が上京して「おもしろそうな会社に行くから紀子も行ってみんけ?」って言われたんです。おもしろい話を聞けるんだったらと軽い気持ちで行ってみたら、その社長とうちの父が、シルク談義みたいなのを始めて。

ーーシルク談義(笑)。

紀子:私は絹織物って衰退産業のイメージしかなかったんですけど、「お蚕さんのことを一頭二頭と数えるんだよ」って言うので、「あんなに小さい虫なのに、一匹二匹じゃないんですか?」って聞いたら、「豚や牛よりも古い家畜と言われていて、人間と一番古い付き合いがあるから一頭二頭って言うんだよ」って。あと、手術の糸に使われるんですけど抜糸をしなくてもいいんですね。人間の肌と同じアミノ酸の構成比率らしくて、蚕の糸でシルクで縫えば自分の肌になるっていうことを聞いたり。それから、お蚕さんって繭の中で一週間くらい過ごすんですけど、その時に水分を吸ったり吐いたりして、湿度の調整をしてくれる。さらに紫外線をカットしてくれていることとか、アンモニア、匂いのもとを吸着してくれるっていう話を聞きました。今までは見た目のイメージがあったんですけど、そういう機能的なこともいっぱいある繊維だっていうことがわかって、初めて心が動かされたんです。目の前がキラキラになって、自分でもやってみたいなって。今帰らなかったら自分は後悔するやろなと思ったので、帰る決意をして戻ってきました。じゃあ次は渉さん。

渉:仕事についたきっかけっていったら結婚なんです。もともと飛騨で農業をやってまして、飛騨で独立をしようと思っていたんですね。場所は宮川でやろうと思っていたんですけど。もう畑も確保して全部準備していた時に、飛騨の農家さんと、城端(じょうはな )7の、南砺市の農家さんとが集まって、オーガニック街道8をつくろうという話があったんです。高速で行けばつながっているので、オーガニックでつながって、学校の給食を全部オーガニックにしようというような話があって。そこに呼ばれて農家のひとりとして行った時に南砺市の市長さんもおられて、市長さんに今ぼくはこういうことをやっていて、畑の面白さや野菜の素晴らしさを色んな人に伝えたいんですって話や、ぼくは虫もすごく好きなので、畑と虫の関係性とかその時ひたすら語っていたんですけど。

一同:(笑)。

渉:(笑)。そんな話をしてたら。

紀子:4日後くらいかな。

渉: 4日後くらいに。

紀子:私が市長と東京の方と3人で食事しとって、「お前最近どんながいよ?」って言われたんです。「最近蚕を飼い始めてから、土が一番大切だってことに気づいて、今土づくりにはまっているんです。土の中の微生物が…」って言っていたら、「4日前くらいに同じことをしゃべっとった人がおったぞ」と。

ーーあぁ、すごい。

紀子:「この人やったら勉強になると思うから紹介してやっちゃ」って言われて。

ーーこの感じ……「新婚さんいらっしゃい」みたい(笑)。土づくりが共通点だった。

渉:馴れ初めだからそんな感じ(笑)。そこでトントン拍子に結婚に至りました。

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7 城端 南砺市にある城端という地名。砺波平野の南端、山田川と池川に挟まれた段丘上にある。
南砺市は「南砺市エコビレッジ構想」(平成25年3月策定)で、循環型農業の拠点 「オーガニック街道」事業として、木質発酵熱利用や炭素循環農業等の安全安心で美味しい循環型農業を推進している。

松井機業社屋(写真:松井機業)

ーー今も農業もされているんですか?

渉:今は桑畑の管理と、桑畑があった場所が洪水で流された場所で、工場の跡地なんですけど、3年前だっけ?

紀子:2008年の7月28日に洪水があって。

渉:桑畑を作ったのは…

紀子:2017年の3月。

渉:その桑畑は以前管理をしとった人が化学肥料をいっぱい使っていたところだったんですけど、それを有機に切り替えたんです。桑畑の管理とその横の工場の跡地を開墾して畑をつくっていて、子どもたちが遊べるような畑と、染料の草木を植えて、自社で採ったもので染めれるようなかたちをつくっています。農業は普段仕事前の朝にやっていて、ほかはずっと会社の仕事をやっています。

紀子:今はマスクの出荷作業に追われてます。

ーーはい、マスク売られていて、気になっていました。

渉:(見せてくれながら)こんな。

ーーいいなぁ。気持ち良さそう。

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ーー次に、お仕事について教えていただけますか。

紀子:今はちょっと特別で、マスクのスケジュールになってしまうんですけれども。

ーーコロナの影響は、松井さんたちの方はどうですか?

紀子:うちでは和紙に絹を貼ったふすまの素材をずっと作っているんですけど、リフォームのキャンセルが相次いでふすまが全然売れなくなっていて、存続が危ぶまれていたんですけど、5月に日テレの「ZIP!」さんでマスクを紹介していただいて、そこからマスク漬けの毎日です。

ーーそのことで危機は免れたのでしょうか?

紀子:はい、マスクのおかげでなんとか。マスクがなかったら危なかったかもしれない。

渉:あと、着物の内側に着る夏用の襦袢も作っているんですけれども、それも着物が全く出なくなって、問屋さんに卸す注文がなくなり、結構ガツンと落ちました。その着物とふすまの素材でずっとやっていってた会社なので、一気にそこが切り替わりつつあります。

ーー大変です…。現状が今までのかたちでのお仕事でないことがわかりました。その前のお仕事についても教えていただけますか?

紀子:うちは育てた蚕さんの繭を織っていなくて、糸を仕入れています。普通は一頭の蚕さんがひとつの繭をつくるんです。すごいまれに二頭の蚕さんが一緒にひとつの繭をつくることがあって、そこからとれる糸が玉糸って言うんですけど、その玉糸を緯(よこ)糸に織り上げてさっきお見せしたふすまの素材を明治10年からつくっています。仕事の流れとしては糸を仕入れて、糸繰りっていうことをして。

ーー糸繰り。

渉:その後の作業がしやすいように、ボビンに巻き直す作業を糸繰りって言います。

糸繰りの作業風景(写真:松井機業)

紀子:糸繰り、管(くだ)巻きっていうのをして機織(はたお)りで織って、その後精練といって生地を柔らかくして、同時に染色も行います。そして和紙と貼り合わせるという作業を一連の流れでやっています。

精練の様子。織りあがった生地を100℃近いお湯につけ、生糸についてる外側タンパク質を落とす作業(写真:松井機業)

紀子:そこが本業なんですけど、そのかたわらで、桑畑の管理と、お蚕さんを飼っています。5月10日から飼いはじめたんですけど、今みんな繭の中にいる状態で、そろそろ乾燥させて中のお蚕さんにお蚕共和国に戻ってもらう時です。

ーーお蚕共和国?

紀子:天国にお戻りいただく。

ーーおふたりはお蚕さんに対してどんな印象を持ってらっしゃるのでしょうか?

紀子:神様みたいな存在だと私は思っていますね。繭をつくる直前に、体が透明になると言われているんですけど、光を放っているように見えて、すごく神々しくって。天の虫って書くじゃないですか。天から召された虫さんなんだなぁって。

ーーはい。

紀子:私が2010年に家に戻った直後って、なんとか自分でこの会社を良くしていくんだってエゴがメラメラしていたんです。シルクもモノとしか思ってなかったんですけど、蚕さんを飼ってからは、すべてはお導きの中で私はただの操り人形なんだと思うようになりました。私が戻って来る前、「継ぐことにしたよ」っておじいちゃんに言ったらその一週間後に亡くなったんですね。それからずっと、見守ってくれているんじゃないかなと思っています。

晴ちゃん:(泣)

紀子:大事な話をする時いつも晴ちゃんえーんって泣く(笑)。

彩:何かわかっているのかもしれないですね(笑)。

渉:(笑)。これ、前、撮った。繭を吐く寸前に、体がぐっと起き上がるという。

(写真:松井機業)

ーーおぉ。

紀子:町に蚕にまつわる神社もいっぱいあり、なおさら神様を信じるようになったというか。

ーー興味深いです。話が横にそれますが、先日82歳の山師の方にインタビューさせていただいた時、「山を好きになってしまったんだ」というような話があって。つまり自分が主でなく、与えられたというような言い方をされていて、自然の一部としての人間というのを感じたんです。紀子さんの感覚と共通している気がするなぁって思いました。

ーー繭ってどんなふうにできるんでしょうか?

渉:蚕は桑の葉っぱしか食べないんで、それが全部からだの中でたんぱく質になって、溜め込んで溜め込んで口から糸を吐く。だから糸を出せば出すほど、どんどん体が小さくなっていく。そして中に入って完全に姿がドロドロになって成虫になって出てくる。成虫になっても人に品種改良されすぎていて、羽はあるんですけど飛べないんですね。だから成虫になっても交尾するだけ。飲まず食わずで交尾して飲まなくなっていく。すごい生き物です。

ーーということは、常に人間の手がかかっていないと生きていけない?

渉:そうだと思います。ぼくは野菜を育てていた時思ったんですけど、お米と同じくらい品種改良されていて、言わば変化しやすい生き物なんですよね。野菜も変化しやすい。トウモロコシなんて世界中で育てられています。生き物の最終的な目標って種を残すことだと思うので、そう考えると変化しやすいっていうのは、めちゃくちゃメリットがあります。人間に食べられて美味しいと思ってもらえればもらえるほど育ててもらえるので、種としては生きていくという。

ーーあぁ、そうですね。必要とされることが。

渉:いろんな考えがあると思いますけど。お蚕さんも変化しやすいというのは、人と共生しているというか、本人だけで生きていけなくても、人と一緒になることでお蚕さんっていう命がずっと続いていくというのはすごいなって思います。

ーー本来は当たり前のことなのかもしれないけど、改めてお話をうかがってその関係性っておもしろいです。

渉:関係性はほんとすごいですね。神様がいるとするなら、それは関係性をつくったひとやなとぼくは思っているんです。畑を見てても、すべて関係性で成り立っているんです。例えば、人参を植えたら、人参ってセリ科の植物なんですけど、そのセリ科を食べるキアゲハっていうアゲハチョウが飛んできて卵を生むんですね。幼虫になるとスズメバチが飛んで来てその幼虫を食べてかえってくるんですよ。だからぼくが幼虫を取らなくても自然の関係性の中でバランスがとれるようになっている。バランスを崩しすぎると、例えば人参だけバーっと植えたら、自然界からするとバランスが崩れている状態なので、どこかに歪みがくると思う。自然の中ではすべてはバランスがとられるようになっていることがすごいなと思っていて、それを見るのがぼくは一番楽しくて、それを伝えるのが人の役割、ぼくの役割だって思っています。

ーーお蚕さんに対して一番何に気をつけていたり、どのような思いで向き合われているのでしょうか?

紀子:全てに感謝の気持ちを込めるようにしています。マスクにアイロンかけている時も最後に「ありがとうございます」っていう念を入れておいて(笑)。絹っていうのは、蚕さんの命と引き換えに成り立っているわけで、絹になった瞬間も蚕さんがそこに宿っておられるし、着物になった時も宿っておられるし、ふすまになってもずっとおられるし。しかも蚕さんの一生って、一ヶ月だけなんですよね。たった一ヶ月の命をふすまとか着物にすることで、100年もつようになるので、蚕さんの命の輝きをずっと愛でることもできるし、蚕さんの愛を感じることもできる。人間としてはそこに「ありがとう」という気持ちを抱くことしかできないのかなって思います。

ーー感動しました。違うことに集中しすぎて感謝とか思いやりを持つことをつい忘れてしまう時があると思うんですが…。

紀子:私も蚕さんを育てる前までは全然知らない世界だったんです。自分で南無阿弥陀仏って言いながらお湯につけて、糸をいただいた時に今まで見たことのない美しさだったんですね。シルクって光沢が特徴ですけど、このシルクの光沢って命の輝きだったんだってその時はじめて知って。

ーー着ているものや食べ物への想像力とか、肌感覚。そこが希薄になって自分自身が全然想像できていないなぁって今の話を聞いて思いました。

紀子:さっき渉さんが話してくれた絽の襦袢。手で触っただけではわからなかったんですけど、実際に着てみたらすごく気持ちいい。肌感覚とか、自分自身の感覚すらも鈍くなっていたことに気づかせてもらって、なんでこうなったんだろうって。小学校とかでポリエステルの体操服を当たり前に着させられて制服も着させられて、良い素材、気持ちいいから着たいという感覚を押し込められてきたから、自分の感覚を感じる機会をどんどん自分自身で減らしていたんだと思います。絹の気持ち良さを感じてからは、肌に触れるものにこそ絹を使ってほしいと思うようになりました。それこそこの子が生まれてから、晴ちゃんに実験台になってもらってタオルを使ってもらったりしています。

(写真:松井機業)

ーーこれから松井機業として個人として目指していきたいことを教えてください。

紀子:一人ひとりの輝きや美しさを自分自身で感じてもらえるようなお手伝いをしたいって思っています。うつ病とか現代病って自分自身と見つめ合う機会がなくってあまりにも忙しすぎたり、外の情報ばかりに振り回されて、自分自身の声を聴いていないから、心と体がちぐはぐになって、それでそういうことになちゃうのかなって思っているんです。シルクを手にした時に感じる幸福感や気持ち良さは、自分の感覚を思い出させてくれるような気がします。例えば、うちのタオルとかマスクを使うことでやさしい気持ちになれるんですよ(笑)。自分自身にもやさしくしてあげなきゃとか、愛してあげなきゃっていうのを思い出してほしい。そういう人たちが増えれば増えるほど、やさしい世界になっていくんじゃないかなって思っています。

ーー今日はありがとうございました。

最近作ってもらったという瞑想のできる繭カプセルの中で。

 

 

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Author

  • 井上 彩|Aya Inoue

    ヒダクマ 取締役/CMO

    島根大学教育学部、武蔵野美術大学彫刻学科卒。瀬戸内国際芸術祭 小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト「観光から関係へ」(2013年)、「小豆島町未来プロジェクト」(2016年)の運営に携わる。2018年ヒダクマ入社。森と人との接点をつくることに楽しさを感じながら活動中。飛騨で好きな食べ物は、朴葉寿司。
    https://hidakuma.com/

    島根大学教育学部、武蔵野美術大学彫刻学科卒。瀬戸内国際芸術祭 小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト「観光から関係へ」(2013年)、「小豆島町未来プロジェクト」(2016年)の運営に携わる。2018年ヒダクマ入社。森と人との接点をつくることに楽しさを感じながら活動中。飛騨で好きな食べ物は、朴葉寿司。
    https://hidakuma.com/

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