Column
2020.3.24
伊藤 優子
FabCafe Hida/Hidakuma 森のコミュニケーター
FabCafe Hidaのある古川の弐之町、北に徒歩10分ほどにある『飛騨職人生活』。そこは、私たちヒダクマが設立当初からお世話になっている木工職人・堅田恒季(かただ・ひさとし)さんの拠点です。
その約150坪ある大きな建物の中は、電子部品の廃工場だったところを改築した作業スペースとcafeもあり、堅田さんと奥様のみか子さん、お二人が住まう住居でもあります。広々としたその空間は、誰もが一度は憧れる、基地のような空間。
約25年ほど前に、大阪から移住された堅田さんは、最初は飛騨の家具メーカーで10年ほど働いた後に、独立されました。このブログでは、そんな堅田さんについて、cafeと宿泊担当の優子がご紹介したいと思います。
家具メーカーに勤務しながら、趣味で仲間たちと移動販売
ー 木工一筋でやれるまでバイトもしていないという堅田さん。一体どうやって生計をたてていらっしゃったんですか?
独立した当初、結婚して子どももおったんやけど、家具メーカーに勤めていたときから、趣味でやっていた移動販売で稼いでいくかってなって、意気込みだけだった。あとは、一生懸命移動販売やりながら、高山の旦那衆から直接仕事もらって稼いでた。高山の安川通りに移動販売の車を5年くらい置いて、毎日安川行って商売してました。だから木工業界でも私ってちょっとどこか変わってるんです。だって、みなさんは木工一筋じゃないですか?例えば、メーカーや職業訓練校で作り方を勉強して準備もして独立しているわけですよ。私なんかなんの準備もしてないわけですよ。だからほんと必死で働きましたね。
ー ようやく木工を始めて、最初はどんな仕事していましたか?
木工機械がなくてもなんとか作れるものは作ったりしてたので、依頼された仕事をしてました。移動販売の車も作ったしね。とにかくどっちかっていったら、cafeやりたいわけじゃなく車をデザインしたかったんです。作りたいわけです。世の中にない車を。それで、イベントに行って営業とかしてた訳です。かっこいいのできたから見せたいじゃないですか。
ー これだけをつくるっていうこだわりは特になかったんですね?
もともと飛騨に来たきっかけっていうのが、私の性格が、ひとつのことに、要するに大学を卒業した後、2年ぷらぷらしてる訳ですよ。卒業するんだから本来ならひとつの仕事に決めないかんところ決めれんかった人間。
ー それはやりたいことが多すぎて何やっていいかわからない?
そう。割と器用やもんであれもできる、これもできるって。ひとつに絞るのは割と不器用。小学校から高校までカトリック系の学校通わせてもらって大阪から宝塚まで通ってたんですけど、山の方から通ってる人たちもクラスにおって、私みたいに都会から来てる人たちもおって、バンドとかに没頭してる人たちって割と山から来た人たちだったんですよ。ぼくは都会から来てるから色んなものに興味がいって、流行にながされっぱなしで……。じゃあぼくもこの性格直すのに一回山行ってみよう!と。とにかく学校行くまでに電車の中とかいろんな人見てそれに流されるわけですよ。じゃあ流されないとこに行ってみようとなった。それで飛騨に来たんです。部屋を改造することが好きやから家具学びたいと思って、学んだら大阪帰ってやればいいと思っていた。
ー飛騨ではひとつのことに没頭できたのでしょうか?
結局ここへ来てもできんかったんですよ。そう、その性格はどこへ行っても治らない。でも柏木工は9年くらい務めた。企画、設計。デザイン、図面書くことから試作品つくること。現場でどう流す?っていう会議から新しい商品の値段決めたり、デザイン決めたり、会社のことは全部関われた。居心地がよかったんですよ。
こだわりの詰まった移動販売車のお写真。写真提供:堅田さん
仕事へのこだわりはストレスなく過ごせること
ー 堅田さんの作品や仕事へのこだわりはどんなことがありますか?
映画を見る、影響受ける、その中で自分のできることやってみたり、また何か求めて映画見たり本見たりする。そのずーっとループしている。
インプット、アウトプット、インプット、アウトプット……みんなそうでしょ?そういうループを子どもの頃からずーっと続けてるんです、多分。
「なにかできないことや、わからないことがあったら、あの人に聞けばいい」とかね。実家がお風呂屋さんだったんですよ。で、近所の駄菓子屋さんとか、夜遅くまでタバコ屋さんとか空いてる訳です。そうすると、宿題わからんときに、漢字のことはタバコ屋さんに聞く。タバコ屋さんのおばちゃんが漢字のこと詳しかったんです。作りたいけどわからんかったらもどかしいのがずーっと続く訳じゃないですか?つまずくと誰かに聞く。あれはあれ。これはこれって相談できる人がぱっと思いついてぱっとその人に話に行けて、社会人としても人としても、ストレスなくいられる一番いい方法やと思う。
ー 影響されてものづくりにこうゆう要素が入ってるよ!ってのはありますか?
学生の時に一番影響を受けたのは、リュックベッソンのサブウェイという映画。あれの影響受けて大阪にいたころ、スケボーしたりスクーターを改造したりサーフィン行ったりとか。その学生の時に男の趣味?じゃないけど、男同士であれかっこいいなってやってる時期の一番いい時期にそれを見たもんで一番影響を受けてる。
遊びをかっこよくできている人は、仕事もできる人
とある家具メーカーの会長さんが言っていた、“いい仕事しようと思ったらいい馬に乗れ”という言葉に共感していて、やっぱいい仕事するにはかっこいいこともして、かっこいいと思うことをするにはそれを吸収して自分でそれを実践してみる。柏木工で、一緒に遊びながら後輩を育てるのも、かっこいいって思ってるものを後輩に見したりとか、一緒にすることでみんなで気持ちがひとつになって達成した時も楽しいなって、なるじゃないですか。大元はそこにある。
自分で改造したりカスタムしたり世の中にないときはゼロから作ったり、作ったら見せたいし評価もらいたいからそれをちいちゃい頃から繰り返してた。世の中ものがいっぱいあるのに、結局わざわざ自分で考えた商品を作る。
ー 独立して変わったことはありますか?
「自分の周りに松本さんが来てヒダクマができたりして仲間が増えてきて、その影響を私は受けた部分はあると思います。もともと、自分の自由な時に山に行くかっていったら、山に行かない。人がたくさんいるところが好きなんで都会に行く人。だからもともと山のことも自然のこと考えたりもしなくて、使う道具として木っていう素材を使っていたからそんなに広葉樹や木にこだわりはなかった。メーカーに勤めてると、材になってる木しか見たことないし、植わってる広葉樹のことなんて気にしたこともなかった。でもそれは、昔から人間はしてきたことじゃないですか?木が身近にあったから木とか藁とか使って人間の道具にしてきた。その基本っていう意味で木というのはいいなとは思ってるけど、自然と繋げたっていうのは、松本さんとか私より若い人の世代の影響だと思う。
最初は綺麗事やと思ってましたよ。でも、こんだけいていろんな世代交代を見てると、先輩って後輩のことを理解するのにそんだけ時間かかるんですよ。新しい世代の考えてることに。笑」
飛騨職人生活では、カッティングボード作りの体験や、FabCafe Hidaでも開催したスツールの座面を藁縄で編むのワークショップなどを飛騨内外で精力的に行われています。
北欧のマグカップ、ククサ作りのワークショップも人気があります。
ヒダクマとの日常の関わり
バイクや自転車でひょっこりニコニコ笑顔で現れては、私たちに笑いを届けてくれます。
「ちょっとここが壊れたんです」と気軽に相談なんてしたものなら「そんなんすぐ直せるで」と、なんの用事でいらしたのかも忘れてしまうほど。軽やかな行動力にいつも驚きます。「すぐ取り掛からないと気が済まない性格なんやな」と笑う堅田さんに助けらっぱなしです。
新年最初にFabコーナーのデジタルマシンを利用したのは堅田さんでした。スタッフよりも使いこなしているんじゃないかというくらい活用されています。
定休日にヒダクマスタッフと流しそうめんをしようと、前日から南飛騨にまで行って竹を用意してくださいました。なんとも本格派な流しそうめんは、堅田さんにとっては朝飯前といったところでしょう。
「ピザ窯を買ったからピザ食べましょう!」とFabCafe Hidaの中庭でスタッフに焼きたてのピザを振舞ってくださる堅田さん夫婦。作ってみんなで美味しくいただいたら、あっという間に片付けて帰って行く。移動販売を長年していた仕事ぶりが滲み出ていました。
職人として求めてくれる人たちがいるから、職人としていられる
家具メーカーさんにおるときも、作る仕事はあまりしてない。会議にでたり、図面を書いたり、作り方の順番をラインでどう流すかを課長と話したり、月一回試作品とか特注品を作ったりしてたくらい。だから柏木工おるときから職人じゃないんですよ。でも、ヒダクマさんが職人として私を求めてるとこがあるもんでそういう部分で、じゃあこのデザイナーさんには堅田がぴったりかな?みたいにコーディネートやプロデュースしてくれてるわけ。だから、ありがたいなあと思っています。
堅田さんがインストラクターを務めたマニトバ大学のKim先生のための組み木ワークショップ。
堅田さんの素敵なとっておき
ー 堅田さんのとっておきを教えてください。
昔から本当のとっておきは言わなかった。情報提供するのは半分にしてこんなの作ったとかこんなんいいでしょ?とか見せたいわけです。でもそのタイミングっていうのは割と考えています。本当のとっておきっていうのは割と言わないんですよ。うっしっし。
そんな話の途中、堅田さんが「でも、これいいやろ。これはとっておきや」と、少年のように目を輝かせ紹介してくださったのは、映画からインスピレーションを受け、すぐに作ってみたという吊り下げられた収納。中には、作業によく使うビスや部品など細かいものが入っていて、使いたい時にすぐ取りやすいのも魅力のひとつだそうです。
好きだからこそのものづくりを
堅田さんの職人さんとしての顔の裏側には、楽しく面白く、ただ好きなことをやっていくというシンプルなものづくりの本質が溢れている。好きだからこそのものづくりを、永遠ループする。職人というくくりでは収まることなく堅田さんはずーっと何かを閃き、作り続けていくのだと思いました。
作るっていうのは天職やなって思ってる。
ほんと大好きなんですよ。作ったり改造したり。
ほんと作るってのは楽しいなあって思ってるんです。
満面の笑みでそう話す堅田さん。堅田さんは自ら動いて縁を繋ぎ、好奇心や興味のままに思いついたものをどんどん形にしていく。作りたいものを作る。幼い頃から体感してきたことは、今の堅田さんを形成する大事なプロセスとなって、これからも変わらないのだろうと思いました。
「飛騨職人生活」&「calm’s cafe」
住所 : 岐阜県飛騨市古川町栄1丁目1-54
TEL : 0577-73-7703
mail: calms@s2.dion.ne.jp
Instagram : https://www.instagram.com/hida_syokunin/
職人さんの住む町、飛騨古川に来ませんか?
FabCafe Hidaのある飛騨古川は、飛騨の匠が作った美しい町並み、そして職人たちが住む町です。飛騨古川にご宿泊の際はぜひFabCafe Hidaをご利用くださいませ。
FabCafe Hidaのご宿泊・体験プランについてはこちら。
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伊藤 優子
FabCafe Hida/Hidakuma 森のコミュニケーター
1986年生まれ。東濃ヒノキの産地・加子母出身。インテリア科の高校・専門学校卒業後、下呂温泉の仲居として9年間働く。2017年にFabCafe Hidaにジョインし、飛騨のまちで永く愛されるお店づくりをモットーに、cafeでのメニュー開発やイベント企画運営・宿泊を担当。定番メニューのカヌレなどを考案。地元の針葉樹の森と飛騨の広葉樹の森を繋げる架け橋になるのが夢。朝が好き。
1986年生まれ。東濃ヒノキの産地・加子母出身。インテリア科の高校・専門学校卒業後、下呂温泉の仲居として9年間働く。2017年にFabCafe Hidaにジョインし、飛騨のまちで永く愛されるお店づくりをモットーに、cafeでのメニュー開発やイベント企画運営・宿泊を担当。定番メニューのカヌレなどを考案。地元の針葉樹の森と飛騨の広葉樹の森を繋げる架け橋になるのが夢。朝が好き。