Event report

2025.12.25

【イベントレポート】最適解から体験の設計へ – 理系キャリアのためのデザイン・アート入門 vol.1

木下 浩佑

株式会社ロフトワーク / FabCafe Kyoto Brand Manager

FabCafe Kyotoを会場に、立命館大学が2026年4月に開設予定の「デザイン・アート学部*」の開設準備を主導する八重樫文教授をキーノートスピーカーに迎え、第一線の実践者として、BASSDRUMの森岡東洋志さん、島津製作所の長谷部臣哉さんが登壇。理論と実践の両面から、「理系こそデザインを学ぶ意味」が深く掘り下げられました。当日のようすをレポートします。

「届かない壁」を越えるために — 理系キャリアが直面する“最適解の罠”

研究開発やものづくりの現場で、技術職や理系出身者がしばしば直面する共通の課題があります。それは、「技術的には優れているのに、なぜか社会に届かない」「性能の最適解を追求しても、ユーザーが受け入れてくれない」という「届かない壁」です。

2025年10月、「最適解から体験の設計へ – 理系キャリアのためのデザイン・アート入門 vol.1」は、この課題を突破するための新たな視点、すなわちデザイン・アートの力を理系キャリアに取り込む方法論を探求するトーク&ワークショップとして開催されました。
本イベントの核心は、ゴールを「機能」や「精度」による最適解に置くのではなく、「体験の全体設計」にシフトすることにあります。技術の成果を「なぜ必要とされるのか」「どのように人や社会に接続させるか」という起点から考え直し、利用者・環境・社会システムを含めた全体を設計対象とすることで、技術がもたらす意味的価値を最大化する道筋を探ります。

最適解から体験の設計へ – 理系キャリアのためのデザイン・アート入門 vol.1

・開催日 : 2025年10月25日 (土)
・会場 : FabCafe Kyoto
・主催 : 立命館大学 デザイン・アート学部,デザイン・アート学研究科 / 株式会社ロフトワーク


Part 1:キーノートトーク
「デザイン=問題解決ではない。愛と問いで捉え直す」

登壇者:八重樫 文さん(立命館大学 経営学部 教授 / デザイン・アート学部・研究科設置委員会 事務局長)

イベント冒頭、八重樫さんは、「なぜ、科学・技術に携わる人が、今あらためてデザイン・アートを学ぶ必要があるのか?」という根本的な問いを投げかけました。八重樫さんは、従来の理系アプローチが抱える課題を「最適解志向の限界」と表現します。

「私たちは、いかに効率よく、いかに正確に、いかに安く作るかという『HOW(いかに)』の問題解決は得意です。しかし、そもそも『何を解決すべきか』という『WHAT(何を)』の問題設定や、『なぜそれが必要とされるのか』という『WHY(なぜ)』という、根源的な問いに向き合う力が不足しがちです。」

この課題を乗り越え、技術を社会に接続させるための、「デザイン・アート」の役割とはどんなものでしょうか?
八重樫さんは、「意味のイノベーション(デザインドリブンイノベーション)」で知られるロベルト・ベルガンティ氏の「人々に愛されるモノゴトを創造したいのであれば、問題解決からは離れた方がよい。愛について考えるのだ。」ということばを引用。

この「愛」とは、相手の欲しいものをそのまま与えることではなく、「何を贈られたら嬉しいかを想像する力」であり、相手のあるべき姿、未来を構想する創造的な行為です。

デザインを単に「問題解決」のための手法として扱ってしまうと、私たちは重要なことを見失ってしまう、と八重樫さんは指摘します。
解決すべき問題ありきではなく、あくまで人や社会を起点に考えねばならない。
そして、ゴールに向かって定められた道を辿るのではなく、問題の背景や構造と自らを繋げる問いを立ち上げることで、既存の枠組みを問い直し「未知の価値」を提示する。
それがデザイン・アートのもつ意味であり、社会に創造的な変革をもたらす原動力になると、八重樫さんは強調しました。

  • ▲ 八重樫さんのスライドより


Part 2:実践者によるトークセッション
手を動かし、体験を通じて「意味」を更新する

登壇者:森岡 東洋志さん(BASSDRUM テクニカルディレクター)

続いて登壇したのは、広告、アート、エンターテイメント領域でテクニカルディレクターとして活躍する、BASSDRUMの森岡東洋志さん。森岡さんは、テクニカルディレクターの役割を「技術とクリエイティブの通訳であり、架け橋」だと説明します。

「クリエイターの『こんなことをやりたい』という漠然とした表現のアイデアを、実際に実現可能な技術的ロードマップに落とし込み、予算やスケジュールといった制約の中で最適な実装方法を見つけ出すのがテクニカルディレクターの役割です。これは、最適解の技術を追い求める理系的な思考に加え、その技術が最終的に生み出す『体験』を想像し、設計するデザイン的な思考がなければ成立しません。」

成功体験を生み出すためのプロトタイピングと「遊び心」

森岡さんのセッションでは、具体的なプロジェクト事例を通じて、いかに「体験」を起点に技術実装を逆算していくかが示されました。

・事例: センサーやAIを用いたインタラクティブ・インスタレーションの制作
・課題: クライアントやクリエイターが持つ「理想の体験」と、「実際の技術的制約」のギャップを埋めること

プロトタイプは「成功体験を生むための道具」。 単なる技術検証ではなく、「その体験が面白いのか?」「人がどう反応するのか?」を検証するためのものであり、設計図通り動く完璧なシステムよりも、人を楽しませる「遊び心」や「余白」を意図的に設計するための論理的な武器になるといいます。

「設計図通りに動く完璧なシステムよりも、人を楽しませるための『遊び心』や『余白』をどう組み込むかが重要です。最適解がすべてを支配するのではなく、あえて不安定さや予測不可能性を残すことで、人の感情や感動を揺さぶる体験が生まれます。デザインとアートの視点は、技術者がこの『遊び心』を意図的に設計するための論理的な武器になります。」

技術力は、最終的な「表現」の質を保証するのではなく、むしろ「体験の多様性」や「感情的な深度」を生み出すために使われるべきだという、テクニカルディレクターならではの視点が提示されました。

登壇者:長谷部 臣哉さん(株式会社島津製作所 プロダクトデザイナー)

次に登壇いただいたのは、京都に本社を置く大手メーカー 島津製作所でプロダクトデザイナーを務める長谷部臣哉さんです。長谷部さんは、立命館大学大学院理工学研究科で工学修士を取得後、島津製作所に入社。エンジニア職を経験した後にデザイン部門へ異動するという、稀有なキャリアパスの持ち主です。

長谷部さんのミッションは、分析計測機器や医療機器といった、高度な技術の塊である製品のデザイン。単に「見た目を良くする」というレベルを超え、製品が使われる研究室や医療現場での「ユーザー体験」を根底から変革することを目指しています。

エンジニアからデザイナーへ:分析計測機器・医用機器に「意味的価値」を注入する

長谷部さんは自身のキャリアの転換期を振り返り、「エンジニア時代は、製品のスペックや性能、機能の追求が全てでした。しかし、デザインに携わるようになってからは、それらが『誰にとって、どんな価値を生むのか』という問いが最も重要になりました」と語りました。

長谷部さんが手掛けた分析計測機器や医用機器は、グッドデザイン賞やiF Design Awardなど、数々の国際的なデザイン賞を受賞しています。本イベントでは、具体的な事例として、手術室で使用される血管撮影装置のジョイスティック開発を紹介。医師にとっても患者にとっても極限の環境下で使用される機器のデザインに際して、100回にも渡るプロトタイピングを繰り返し、手元を見なくてもジョイスティックが判別でき、滞りなく手術が進められる形状を追求しました。
その背景には、技術の優位性だけでなく、「製品を通じて使用者の思考を妨げない」「医療従事者が迷いなく操作できる」といった、使う人の感情や行動に寄り添った体験設計があります。

「このジョイスティック開発では、『手に触れただけで使用者に機能が認知される』ことが究極の理想でした。単に技術とユーザーの橋渡しをするだけでなく、形状が直接結果にコミットする(ミスなく迅速に手術を終わらせる)必要があり、そこが大きなチャレンジでした。技術の成果を最大限に活かすためには、その技術の『出口』、つまりユーザーの手に渡った瞬間の体験を徹底的に設計しなければなりません。」

長谷部さんからは「現場、現物、現実の『三現主義』」を大事にしたデザインプロセスを通じて、技術の力を社会に実装するための、メーカーにおける実践知が示されました。


Part 3: ワークショップ
「うまくいかない理由」を打破する、デザイン的態度を短時間で体感

トークに続いて、参加者は、「始められない・続かない健康習慣」という共通のテーマに対し、「プロトタイピング」のワークショップに取り組みました。ワークショップの核心は、「うまくいかない理由」を深掘りし、「人の行動を変える」ための問いを課題の出発点とすること。そして、紙やハサミ、色紙などの身近な素材のみを使い、雑に(ラフに)制作するプロトタイピングを通じて、体験の核を具現化しました。

参加者の学びと気づき

・「考えてもいなかった・わからないことすらわからなかったことが可視化された」。
・「手に触れられる形にしてみて初めて『わかった』と感じたことがあった」。
・「プロトタイプから、身体の動きや感情の流れを通じて新しい発想が生まれる瞬間をいくつも見ることができた」。
・「限られた時間の中で、素材を使いながら即興的に形にしていくプロセスそのものが、『考えることをデザインする』という行為になっていた」。

機能の最適解を検証するのではなく、抽象的なアイデアを具体化することで、「対話の触媒」として機能し、率直なフィードバックを引き出すという意味での、プロトタイプの有効性を実感する時間となりました。

ワークショップ発表後の参加者からの声(*一部抜粋)

1. 思考・問題設定に関する気づき

  • 正解や常識の問い直し
    • 自分の「正しい」という感覚が揺れた。
    • 「考えてもいなかった・わからないことすらわからなかったこと」が可視化された。
    • うまくいかないこと自体から学べる: そもそもプロトタイプを作る理由は、それを早く発見する(失敗から学ぶ)というところがある。
    • ネガティブな感情も価値になる。うるさい、邪魔だといったネガティブな感情も、気づきの一つとして重要だとわかった。
    • 問いの立て方が変わった。健康習慣の課題に対し、「うまくいかないならそれは何でだっけ?」と考えた時に、問いのあり方が変わった。

2. プロトタイピング / 手を動かすこと の価値

  • 具体的な体感と理解
    • 手に触れられる形にしてみて初めて「わかった」と感じた。
    • 時間や材料、技術の制約が、逆によい方に働いた。
    • モノに限界と可能性が見えてくる。形にすることで、そのアイデアの限界や可能性が明確になる。
    • ラフでよい。作り込むことよりも、とにかくラフで良いので、まずは作って試すことが大事だと体感した。
  • 機能を超えた価値
    • モノは対話の触媒になる。モノがあることで、通りがかった人が「これ何?」と聞いてくれ、会話が生まれるのがよい。
    • 自己評価の可視化。食事習慣において、客観的なデータだけでなく、自分で小さな評価を繰り返していくことで習慣ができるという気づきがあった。

3. 他者との関わり・行動変容

  • 報酬と動機づけの発見
    • 他者への影響への視点。自分以外の他者に対して何か影響を与えるアクション(例:魚を育てる、誰かとシェアする)を付与すると、習慣化が続きやすいのではないか。
    • 数値化と感情の違い。男性陣は数値化しやすいものに着目しがちだが、女性陣は応援や気持ちに寄り添ったものが多かったという男女差の気づきがあった。
    • 強制力と報酬の関係性。ウォーキングしないと課金される(強制)や、寝ると野菜が育つ(報酬)といった、行動を促すための具体的な仕掛けに気づいた。
  • コミュニケーションと共創
    • 対話のきっかけ。ものを使うことで、うまくできているかではなく、何が起きるのかなというフラットで新鮮な気持ちで聞く対話が生まれた。
    • 一緒に作りながら考えると、短時間で20のアイデアなど、同時にたくさんのアイデアを試すことができる。

キャリアの拡張は「問いの再設計」から始まる

デザイン・アートは、特定の職業のためだけでなく、科学者やエンジニアにとっても、自身の専門性を社会の大きな文脈で捉え直し、未来を構想するための「基礎教養」になりつつあります。

技術の力を最大限に活かすためには、「与えられた問題」を疑い、「そもそも何が問われるべきか」という問いを再構築するデザイン・アート的な姿勢が不可欠です。この姿勢こそが、「優れているのに届かない」壁を越え、社会に深く根付く「意味的な価値」の原動力となるでしょう。

(>>> vol.2 のレポート記事はこちら


  • 八重樫 文

    立命館大学 デザイン・アート学部 教授(2026年度から)/学校法人立命館 総合企画室 室長/立命館大学 デザイン・アート学部、デザイン・アート学研究科設置委員会 副委員長/立命館大学 経営学部 教授/立命館大学DML(Design Management Lab)チーフ・プロデューサー

    2026年4月に新設予定の立命館大学 デザイン・アート学部の開設準備を主導。1973年北海道江別市生まれ。武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。デザイン事務所勤務、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科助手、福山大学人間文化学部人間文化学科メディアコミュニケーションコース専任講師、立命館大学文理総合環境・デザイン・インスティテュート准教授、同経営学部准教授を経て、2014年より同教授。2015、2019年度ミラノ工科大学訪問研究員。専門はデザイン学、デザインマネジメント論。

    2026年4月に新設予定の立命館大学 デザイン・アート学部の開設準備を主導。1973年北海道江別市生まれ。武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。デザイン事務所勤務、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科助手、福山大学人間文化学部人間文化学科メディアコミュニケーションコース専任講師、立命館大学文理総合環境・デザイン・インスティテュート准教授、同経営学部准教授を経て、2014年より同教授。2015、2019年度ミラノ工科大学訪問研究員。専門はデザイン学、デザインマネジメント論。

  • 森岡 東洋志

    BASSDRUM テクニカルディレクター

    1981年生まれ。東京工芸大学博士課程満期退学。工学修士。メーカー勤務を経て、2014年からワントゥーテンデザインにてIoTデバイスの開発やスマートフォンアプリのSDK開発、インスタレーションの開発に携わる。2015年、プロトタイピングに特化したワントゥーテンドライブを設立し、CTOとしてメーカーとの新製品開発やテクノロジーを使ったエンターテイメントの開発を行う。2018年、本体ワントゥーテンのチーフマネージャーに。2020年に独立し、BASSDRUMに参画。大阪芸術大学にて非常勤講師も務める。

    1981年生まれ。東京工芸大学博士課程満期退学。工学修士。メーカー勤務を経て、2014年からワントゥーテンデザインにてIoTデバイスの開発やスマートフォンアプリのSDK開発、インスタレーションの開発に携わる。2015年、プロトタイピングに特化したワントゥーテンドライブを設立し、CTOとしてメーカーとの新製品開発やテクノロジーを使ったエンターテイメントの開発を行う。2018年、本体ワントゥーテンのチーフマネージャーに。2020年に独立し、BASSDRUMに参画。大阪芸術大学にて非常勤講師も務める。

  • 長谷部 臣哉

    株式会社島津製作所 プロダクトデザイナー

    1979年生まれ。立命館大学大学院理工学研究科修了、工学修士。株式会社島津製作所入社後、エンジニア職を経てデザイン部門に異動し、プロダクトデザイナーとして分析計測機器および医療機器などのデザイン業務に従事。グッドデザイン賞、IF Design Award、Red Dot Design Award のデザイン賞を受賞。京都精華大学非常勤講師を務める。個人活動では、インスタレーションアートおよびAR/VR関連作品の制作に取り組み、近年ではAR作品でアワードを受賞(NewView Award 2021・2024)

    1979年生まれ。立命館大学大学院理工学研究科修了、工学修士。株式会社島津製作所入社後、エンジニア職を経てデザイン部門に異動し、プロダクトデザイナーとして分析計測機器および医療機器などのデザイン業務に従事。グッドデザイン賞、IF Design Award、Red Dot Design Award のデザイン賞を受賞。京都精華大学非常勤講師を務める。個人活動では、インスタレーションアートおよびAR/VR関連作品の制作に取り組み、近年ではAR作品でアワードを受賞(NewView Award 2021・2024)

Author

  • 木下 浩佑

    株式会社ロフトワーク / FabCafe Kyoto Brand Manager

    京都府立大学福祉社会学部福祉社会学科卒業後、カフェ「neutron」およびアートギャラリー「neutron tokyo」のマネージャー職、廃校活用施設「IID 世田谷ものづくり学校」の企画職を経て、2015年ロフトワーク入社。素材を起点にものづくり企業の共創とイノベーションを支援する「MTRL(マテリアル)」と、テクノロジーとクリエイションをキーワードにクリエイター・研究者・企業など多様な人々が集うコミュニティハブ「FabCafe Kyoto」に立ち上げから参画。ワークショップ運営やトークのモデレーション、展示企画のプロデュースなどを通じて「化学反応が起きる場づくり」「異分野の物事を接続させるコンテクスト設計」を実践中。社会福祉士。2023年、京都精華大学メディア表現学部 非常勤講師に就任。

    京都府立大学福祉社会学部福祉社会学科卒業後、カフェ「neutron」およびアートギャラリー「neutron tokyo」のマネージャー職、廃校活用施設「IID 世田谷ものづくり学校」の企画職を経て、2015年ロフトワーク入社。素材を起点にものづくり企業の共創とイノベーションを支援する「MTRL(マテリアル)」と、テクノロジーとクリエイションをキーワードにクリエイター・研究者・企業など多様な人々が集うコミュニティハブ「FabCafe Kyoto」に立ち上げから参画。ワークショップ運営やトークのモデレーション、展示企画のプロデュースなどを通じて「化学反応が起きる場づくり」「異分野の物事を接続させるコンテクスト設計」を実践中。社会福祉士。2023年、京都精華大学メディア表現学部 非常勤講師に就任。

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