Event report
2025.12.25
木下 浩佑
株式会社ロフトワーク / FabCafe Kyoto Brand Manager
立命館大学が2026年4月に開設予定の「デザイン・アート学部,デザイン・アート学研究科」とFabCafe Kyoto を運営するロフトワークの共催プログラム、第2回をレポート。「センス・オブ・ワンダー」を起点に、主観と客観の間に新たな意味を結び直す、創造的な「問い」の立て方を探ります。ゲストには、化学生態学の研究を通じて開発され、気鋭のレストランのシェフなど味や食体験に関わる専門家たちからも注目される、蛾の幼虫の糞から生まれるお茶「虫秘茶」を手がける丸岡 毅さんを迎えました。
「正解」の外に出られないあなたへ – 突破口は「主観」の復権にある
既存の評価軸や既定路線の中で、最適解を出し続けることには長けている。しかし、そこから一歩外に出ようとすると、途端に足場を失う――。 短期的な成果を求めるビジネスや研究の現場で直面するこの課題感の正体は、「客観的な正しさ」への過剰適応によって「主観的な実感」を見失っていることにあります。
本イベントシリーズの第1回では「プロトタイピング」実践の有用性を説きましたが、続く今回は、さらに深く、その実践の種となる「問い」の源泉を探りました。なぜ、私たちは「正解」の外に出られないのか。それは、世界を測定・評価する技術は持っていても、世界を自らの身体で感じ取り、新たな関係を結び直す「作法」を持っていないからではないでしょうか。
本レポートでは、「センス・オブ・ワンダー (Sense of Wonder) 」をキーワードに、主観を起点とした探求がいかにしてイノベーションへと昇華されるのか、そのメカニズムを紐解きます。

最適解から体験の設計へ – 理系キャリアのためのデザイン・アート入門 vol.2
・開催日 : 2025年11月24日 (月祝)
・会場 : FabCafe Kyoto
・主催 : 立命館大学 デザイン・アート学部,デザイン・アート学研究科 / 株式会社ロフトワーク
Part 1:キーノートトーク
「好奇心」と「感受性」の再定義 – 外へのベクトル、内へのベクトル

登壇者:八重樫 文さん(立命館大学 経営学部 教授 / デザイン・アート学部・研究科設置委員会 事務局長)
本イベントvol.1に続きナビゲーターを務めてくださったのは、 立命館大学の八重樫 文教授。デザインを「問題解決」から「新しい意味の生成」へと捉え直す研究の第一人者です。今回のキーノートトークでは、デザイン・アートの視点から、創造的な「問い」の源泉となる「センス・オブ・ワンダー」を深掘りしました。
八重樫さんからセンス・オブ・ワンダーを構成する要素として挙げられたのは、以下の二つの力のバランスです。
A. 好奇心(外向きの矢印) : 自分から世界へ向かい、探求する力。
B. 感受性(内向きの矢印) : 世界からのメッセージを自分の中で受け止める力。

▲ 八重樫さんスライドより
八重樫さんは、特に「感受性」の重要性を強調。問題解決の枠内で思考すると、私たちは世界を自分と切り離し、客体として効率よく処理しようとします。しかし、デザイン・アート的態度は、世界と自己の関係性を切り離さず、「違和感」を繊細に受け止め、それを掘り下げる感受性こそが、「自分だけが捉えた価値」を発見する原動力になると述べました。
この態度は、個人的な気付きや発想にとどまらず、組織におけるビジョン構想や戦略策定、社会的課題の解決策を推進するクリエイティブな人材に求められる資質ともいえそうです。
Part 2: 実践者による事例紹介
『虫秘茶』にみる主観と客観の統合 – 「個人的な欠乏」から「世界初の価値」へ

登壇者: 丸岡 毅さん(虫秘茶 / 研究者)
ゲストは、化学生態学の研究者として、昆虫と植物の関係性を探求する丸岡 毅さん。丸岡さんが手がける「虫秘茶(ちゅうひちゃ)」プロジェクトは、まさに「主観による気付き」が「客観的な価値」へと昇華された事例です。

▲ 虫秘茶 : https://chuhicha.com/
虫秘茶は、化学生態学の研究を通じて開発され、気鋭のレストランのシェフなど味や食体験に関わる専門家たちからも注目される、蛾の幼虫の糞から生まれるお茶。虫と植物、食文化を新たな体験でつなぐ、この研究と事業は、以下のようなプロセスで生まれたといいます。
1. 起点は徹底的な「主観」と「体験」
丸岡さんは、元々ご自身が虫好きだったというわけではないそうです。ですが研究室で虫が身近にいるなかで、専門的な研究対象としての興味の外側で、「桜の葉を食べた虫の糞は、桜餅のような良い香りがする」ということに気付きました。
2. 専門知による「客観的探求」への接続
そこから、主観的な驚きを「ただの感想」で終わらせず、「なぜ?」を掘り下げ科学的に探求。茶葉をつくる際の発酵工程と、昆虫が葉を食べ消化するプロセスの類似性への気付きから、「天然の発酵装置」としての蛾の幼虫の可能性を見出します。
3. 共創による「意味の構造化
科学的なアプローチだけでなく、シェフやデザイナーといった他者との対話を通じて、それが単に香り・味わいのよいお茶であることを超えた、「新しいテロワール(土地の味)」の可能性であり、食文化として体験できる「生態系の結晶」であるという新しい意味を創出しました。
「不快な排泄物」から「高級な嗜好品」へ。この劇的な転換は、「主観 / センスオブワンダー」を入口にし、「客観 / 科学的な探求」で裏付け、「他者との共創」によって社会的な意味を確立するというプロセスによって成し遂げられました。
▼ 丸岡さんスライドより




Part 3: クロストーク
虫秘茶にみる 「意味のイノベーション」

続く登壇者おふたりのクロストークのパートで、八重樫さんは、虫秘茶を「意味のイノベーション」の視点から読み解きました。

特にポイントとなったのは下記の要素。
・「ひとりからはじめる」重要性 : イノベーションの種は、市場調査(客観データ)からは生まれない。丸岡さんのように、まずは個人の「強い違和感や愛(主観)」から始まる。
・他者との衝突と統合を通じた評価 : しかし、主観だけでは独りよがりになってしまう。自分が見つけた「種」を、他者という鏡に映し、そこから開かれる解釈を通じて、社会に通用する「客観的な強度」を獲得する。

「主観」を恐れず外へ拓き、「客観」で鍛え上げる。この往復運動こそが、既存の正解を突破する駆動力の鍵といえるのかもしれません。
Part 4: ワークショップ
身体をセンサーにして「Why」を探る
ワークショップでは、各参加者が、自身の身体を「センサー」として扱い、主観を入口に自らの問いと仮説を立ち上げることにチャレンジしました。
まずは「百聞は一見に如かず」を実感。先ほどプレゼンテーションを聞いたばかりの虫秘茶を試飲、体験することで、固定観念や「わかったつもり」が揺さぶられます。


後半は、理屈ではなく直感的に「なんとなくよい」と感じるものやかたちを探し、それを観察し、他者への共有を通じて「なぜ、自分はそう感じるのか?」「その “よさ” は、なぜ生まれるのか?」についての仮説を掘り下げることを試みました。



▲ ワークショップの工程を説明するスライド
築120年の木造建築をリノベーションし、館内に様々な素材を常設する FabCafe Kyoto をあらためて観察。視覚だけでなく触覚や嗅覚など五感を総動員して「自分にとっての “いい” 」を探します。
グループ内で自身が選んだものや場所を共有。他者にひらくことで、新たな解釈や意味が開かれる瞬間や、「当たり前だったと思っていたことがわからなくなる」場面も。
参加者の学びと気づき:主観の復権
・「自分の『当たり前』という感覚が揺れた」
・「他者に伝えようとして言葉を紡ぎながら、初めて『わかった』と感じた」
普段「正解」を求める思考モードでは抑圧されていた「主観的な感受性」が解放される時間になりました。

一方で、多くの参加者が直面した壁がありました。
参加者にとっての難しさ
・ 「なんとなくよいと感じる以上でも以下でもないことに対して、そこから掘り下げるのが難しかった」
・「自身の内面や嗜好について向き合うことはできたが、心地よさや美しさの源となる素材や環境、メカニズムなどについての仮説には辿り着けなかった」
この「難しさ」こそが、デザイン・アートを学ぶ理由。
主観を入口にして、客観的に探求する。この、主観と客観の間に新たな意味を結び直す過程で、意味的価値の転換が行われます。デザインやアートの実践は、単なる感性教育ではありません。それは、「まだ自分しかキャッチしていない世界からのシグナル」を、「社会に接続可能な客観的価値」へと翻訳するための、極めてロジカルでタフな「橋渡しの技術」なのです。

技術を社会につなぐ「デザインモード」への切り替え
イベントの総括として、八重樫さんは、デザイン的態度とは、「与えられた問題」を疑い、「そもそも何が問われるべきか」という問いを再構築するスイッチ、すなわち「慣習モード」から「デザインモード」への切り替えであると述べました。
虫秘茶の事例が示すように、既存の評価軸における「最適解」の追求だけでなく、自身の感受性を研ぎ澄ませて世界からのメッセージを受け取り、そこから得た「違和感」を新たな意味へと昇華させる力が、研究や開発の成果を社会と接続し、価値を生み出すための鍵となるはずです。
(>>> vol.1 のレポート記事はこちら)
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八重樫 文
立命館大学 デザイン・アート学部 教授(2026年度から)/学校法人立命館 総合企画室 室長/立命館大学 デザイン・アート学部、デザイン・アート学研究科設置委員会 副委員長/立命館大学 経営学部 教授/立命館大学DML(Design Management Lab)チーフ・プロデューサー
2026年4月に新設予定の立命館大学 デザイン・アート学部の開設準備を主導。1973年北海道江別市生まれ。武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。デザイン事務所勤務、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科助手、福山大学人間文化学部人間文化学科メディアコミュニケーションコース専任講師、立命館大学文理総合環境・デザイン・インスティテュート准教授、同経営学部准教授を経て、2014年より同教授。2015、2019年度ミラノ工科大学訪問研究員。専門はデザイン学、デザインマネジメント論。
2026年4月に新設予定の立命館大学 デザイン・アート学部の開設準備を主導。1973年北海道江別市生まれ。武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。デザイン事務所勤務、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科助手、福山大学人間文化学部人間文化学科メディアコミュニケーションコース専任講師、立命館大学文理総合環境・デザイン・インスティテュート准教授、同経営学部准教授を経て、2014年より同教授。2015、2019年度ミラノ工科大学訪問研究員。専門はデザイン学、デザインマネジメント論。
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丸岡 毅
虫秘茶 / 研究者
京都大学大学院農学研究科博士課程。専門は化学生態学。研究室の先輩に影響されて昆虫愛(主にガ類)に目覚め、ここ数年は毎昼・毎夜のように“ガ”を探す日々を送る。 植物の葉を食べた蛾の幼虫のフンを原料とする発酵茶「虫秘茶」を開発し、未利用資源である昆虫のフンを高付加価値素材として社会に実装。海外のミシュラン三つ星レストランと取引を継続し、食文化の最前線に「昆虫のフン」という新たな概念を提示した。現在は静岡県松崎町や掛川市と連携し、地域植物を昆虫に食べさせる循環型産業モデルの構築を進めている。世界経済フォーラム「Global Shapers Community」メンバーとして国際的な活動にも参画し、大阪・関西万博では生物多様性保全をテーマに登壇。虫のフンを起点とした地域資源・科学・文化を統合した価値創出に挑戦している。
■ 虫秘茶 official website : https://chuhicha.com/京都大学大学院農学研究科博士課程。専門は化学生態学。研究室の先輩に影響されて昆虫愛(主にガ類)に目覚め、ここ数年は毎昼・毎夜のように“ガ”を探す日々を送る。 植物の葉を食べた蛾の幼虫のフンを原料とする発酵茶「虫秘茶」を開発し、未利用資源である昆虫のフンを高付加価値素材として社会に実装。海外のミシュラン三つ星レストランと取引を継続し、食文化の最前線に「昆虫のフン」という新たな概念を提示した。現在は静岡県松崎町や掛川市と連携し、地域植物を昆虫に食べさせる循環型産業モデルの構築を進めている。世界経済フォーラム「Global Shapers Community」メンバーとして国際的な活動にも参画し、大阪・関西万博では生物多様性保全をテーマに登壇。虫のフンを起点とした地域資源・科学・文化を統合した価値創出に挑戦している。
■ 虫秘茶 official website : https://chuhicha.com/
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木下 浩佑
株式会社ロフトワーク / FabCafe Kyoto Brand Manager
京都府立大学福祉社会学部福祉社会学科卒業後、カフェ「neutron」およびアートギャラリー「neutron tokyo」のマネージャー職、廃校活用施設「IID 世田谷ものづくり学校」の企画職を経て、2015年ロフトワーク入社。素材を起点にものづくり企業の共創とイノベーションを支援する「MTRL(マテリアル)」と、テクノロジーとクリエイションをキーワードにクリエイター・研究者・企業など多様な人々が集うコミュニティハブ「FabCafe Kyoto」に立ち上げから参画。ワークショップ運営やトークのモデレーション、展示企画のプロデュースなどを通じて「化学反応が起きる場づくり」「異分野の物事を接続させるコンテクスト設計」を実践中。社会福祉士。2023年、京都精華大学メディア表現学部 非常勤講師に就任。
京都府立大学福祉社会学部福祉社会学科卒業後、カフェ「neutron」およびアートギャラリー「neutron tokyo」のマネージャー職、廃校活用施設「IID 世田谷ものづくり学校」の企画職を経て、2015年ロフトワーク入社。素材を起点にものづくり企業の共創とイノベーションを支援する「MTRL(マテリアル)」と、テクノロジーとクリエイションをキーワードにクリエイター・研究者・企業など多様な人々が集うコミュニティハブ「FabCafe Kyoto」に立ち上げから参画。ワークショップ運営やトークのモデレーション、展示企画のプロデュースなどを通じて「化学反応が起きる場づくり」「異分野の物事を接続させるコンテクスト設計」を実践中。社会福祉士。2023年、京都精華大学メディア表現学部 非常勤講師に就任。






