Interview

2019.5.18

民藝の器屋・やわい屋さんの「ここで暮らす理由。」

インタビュー

伊藤 優子

FabCafe Hida/Hidakuma 森のコミュニケーター

こんにちは、FabCafe Hida 宿泊担当の優子です。今回は、ヒダクマが実施している合宿やイベントでお世話になっている民藝の器と古本を扱うお店 「やわい屋さん」をご紹介します。

店主の圭一さんは、店頭に立つだけでなく普段からご自身のwebサイトで私小説をお書きになったり、空気や風、温度を感じられるようなblogを更新される “言葉の人” でもあります。そんな朝倉さんに言葉をいただくべく、インタビューさせていただきました。やわい屋という民藝の器屋が、この飛騨の里山にできて、今年で3周年。朝倉さんご夫妻が大事にされていること、ここで暮らす理由をたっぷり語っていただきました。

やわい屋とは?

店主は、旦那さんの朝倉圭一さん。店長は、奥さんの朝倉佳子さんです。

お店の土間に入ると、凛とした感覚、土や草の匂い、川の流れる水の音、虫の声、光や暗さの中にある美しい器たち。感情を揺さぶられるような景色が広がります。そしてお二人が笑顔で迎えてくれるので、ほっとリラックスできる場所。それが、やわい屋です。今、NHKや雑誌など様々な媒体で注目されています。

1階は、馬舎だった場所に民藝の器を主に扱う店舗と、広々とした縁側。

2階は、古本屋。

店主の圭一さんが、何よりもご自身がゆっくり過ごせる場所を作りたかったという事で、物置だった屋根裏を本の並ぶ屋根裏書店として生まれ変わらせました。空間作りは、古材や廃材をできるかぎり再利用することに力を入れている大工のワタナベ建築さんが手がけました。

そんな屋根裏書店の空間で、インタビューさせていただいた店主の圭一さん。

土地に根ざした暮らしが安心に繋がる

ー 築150年の古民家を移築・再生された住居兼店舗の特徴はどんなところですか?

朝倉さん : 生活は今っぽくしているんだけど、自分たちに合わせて建物をいじるっていうより建物に合わせて自分たちの生活のあり方を再検討したいという思いがあって、環境の持っている魅力を最大限活かすことを最優先に考えています。土地に根ざしていたものの中で生きていることが安心に繋がるという意味で古民家での生活を選んだので、建築を捉えて単に古民家が好きとかそういうことでもないんです。

民家は、その建材や様式のどれをとっても地域固有の文化や資源に大きく依存していて、建物だけではなく衣食住の全てが地域性と密接に関わって存在していたんですが、今新しく建てられる家というのは日本中どこにいっても同じ姿で、ここの土地に元から生えるように建っている家とは、性質がまるで違うものです。そういう家はどうしても建っている土地や景観と分裂してしまっていて、どこか浮いているように見えてしまう。そういう家々は「閉じた生活の場」としての機能は果たせるけれど、飛騨らしい景観や文化とはなりません。だから、そこから先が続かない感じが多い中で、スーッと景観や文化に馴染む古民家をあえて選んだんです。

植樹したものはもたない?

地域の未来に関して、ローカルとかサスティナブルという言葉で近年様々な地域で問題解決に躍起になっていますが、どこかの地域で成功した事例をそのまま持ってきてもうまく育たないんですよね。それは、例えるならば植生のないところでは花が咲かないのと似ていて、他地域で産まれた何か有益な事をそのまま持ち込んだとしても、そのうち元の自然に戻ってしまう。もっとも、めちゃくめちゃ強い西洋たんぽぽみたいのものもあるけど、元々の生態系を駆逐してしまうようなことは、地域にとって有益なこととは言えないと思うんです。

他地域で成功してる事例は、どの考え方もどの活動もすごく素晴らしいものなんだけど、それを単なるロールモデル‥成功事例としてだけ扱うとおかしなことになります。例えば、プロ野球選手になれる本っていうのを読んだら全員がイチローになれるかっていったら、そうじゃないのと一緒で、ただ真似をするだけではうまくいかない。本当はイチローと自分の違いについて考えたり、イチローのことをよく学んで、イチローとはまるで違うことをイチローと同じくらい努力して行い続けなけばプロにはなれないです。ただ町づくりに関しては、どこかの事例を真似たり、コンサルの話を聞いて行えばみんなイチローになれると思い込んでしまう人も多いように思います。でも、素養やセンスがなければ努力してもうまくはいきません。

僕らがやってることは、5年や10年では目に見える成果は出ないでしょうし、そもそももしかしたら自分の代では結果がでないようなことで、それが出来るのは、産業の中心部でないところで暮らしながらやっているからだと思っています。イノベーションが高い場所っていうのは、家賃が高いところでは生まれにくい、なぜかと言えば家賃の高さは、それだけ集客の見込みがあるということで、例えば観光地ならお店の回転率や客単価の設定を、大衆向けの分かりやすいものにしないと家賃が払えないからです。逆に高級な場所であったとしても、お金持ちの人々に喜んでもらえる設えやサービスと、大衆向けのサービスは、いずれもイノベーションとは程遠いものであることが多い。でも、僕らのようにそういう市場原理から離れたところにいたら、市場を新しく作ることも自由に動き回ることもできるし、儲けない代わりに、儲ける儲けないっていう話に巻き込まれることも少ないです。それは自分たちの暮らしを考える上で実は大事なんじゃないかな。これからの時代は個人個人がバラバラでやっていいし、それが認められる時代であり、一丸となって一つの目的にがむしゃらに向かっていくのはすごく危ないかも知れないってことを身をもって感じている世代だと思います。

ー ブログを読ませていただいたのですが、去年掲げた目標が、一丸となってバラバラに生きるでしたよね?

そうですね。なにか問題があったらガッっと集まるけど、本来の営みがバラバラでいいっていうのは、村もそうでしょ?火事とかあったらみんなすぐ集まる。それぞれがいろんな仕事をしていて、夜勤だったり平日休みの人がいたり、営みがバラバラだから有事の際にも誰かがいて、初期消火にあたれます。普段からみんな気にし合って生きてて、誰かが誰かの変わりに雪掻きしたり、花壇に花を植えたりしています。現代はそういうのは見えにくい社会だけど、やることとやらないことがはっきりしすぎると、かえってみんなやらなくなります。「頼まれてることだけやる」というのは寂しいもんです。だけど、「そうしないといけない」というのは「一丸」とは違います。

例えば飛騨では森の未来が危ぶまれていて、様々な人がそれぞれのアプローチで動いています。だけど、「森を守らないと地域がダメになる、だからみんなで一致団結しよう!」というメッセージは、すごく強くて強いから疲れる。本当の一丸は、関わっている人がみんな自分事として問題に向き合うことです。○○だからやる。やらなくてはいけない。ではなくて、もっと自然に身体が動いてしまうようなことが、本来の一丸だと思うんです。正しさとか正義だけでは、人は絶対に動かなくて、やっぱりそこに一丸となれるものがあって、バラバラに生きるっていうのを許してくれるようなもんじゃないとしんどいと思うんです。

本当はもっと全体ではなくて、個々に目を向けるべきで、そこに化学反応が起こっていることが大事なんじゃないのかなと。たまにはぼーっとしたいし、くだらないこと話し合って笑い合いたいのにそれが許されないような環境が多いように感じますね。僕らはそこからどうにか身をよじって逃げる。そういうことに巻き込まれないためには、そういう人たちが出ないところで生きていかなきゃいけないんです。

ー 駅から遠いとか、冬は店を開けないとか、お店にとって一見ネガティブに捉えられるようなことを実践されているのですが、それをありのままに見せておられるのはなぜでしょうか?

そうですね‥それは、既存の商売のあり方からしたらネガティブなだけで、マジョリティからしたらマイノリティだというだけのことで、そんなたいした問題じゃないですそれに、これからの時代は人口減少でマジョリティという存在が強かったこれまでの時代とは、社会の構造も変わっていきます。現代の多数派のサラリーマン的な働き方をする人達からしたら「ちょっとそれ難しいんじゃないの?」ということだけど、サラリーマンだからって安心できる時代じゃないということは、みんな実感として持っていると思います。

ロールモデルのない時代だから出来ること

だから誰でもできる仕事ではなくて、その人にしかできない仕事とか、その人にしか会えない場所が求められていて、求められているから僕らみたいな変わった人間でも、こうして食べていけています。
もし20年早かったら、食べていけていないでしょう。僕たちは時代や社会に対してのカウンターや反発をしているわけではなくて、これまでの20世紀的な価値観ではこの先の地域の未来はないと思うけど、時代の恩恵やテクノロジーは享受しているから、時代と並走して出来るような価値観を探しているんです。僕らは僕らが心地いいと思える事を粛々と続けていく事が一番大切だと思ってるだけなんです。

「あえてなんで今なんだろう?」というところの価値。うちはそっち。

「ぎゅー」って、狭くして「ぐー」って深くしていくみたいなことをやっているから、自分たちが一番気が楽とか、心地いい方向に全部振っています。それを何というのかわからないけど…わがままというのかな(笑)

一言でいうと日々の営みみたいなこと。当たり前の毎日みたいなことに、本気で向き合うこと。
農業をするとか、設えとか空間とか暮らしぶりそのものを作っていかないといけないと思うんです。

昔だったら、一軒家を買ってクレヨンしんちゃんみたいな感じのサラリーマンみたいな生き方が、みんなの当たり前でした。それより前だったらサザエさん、だけど、最近はそういう“ THE 家族” っていうのがなくなっちゃいました。多様性のなかでロールモデルは崩壊しています。こういう風にしていればいいんだっていうことが見えにくい時代に生きているからこそ、それぞれがどうやって生きていくかっていうことを考えて、時間をかけて見せていく時代なんだと思います。
大きい1本の木が育てばその下に日陰ができるみたいに、あくまで自分たちの暮らしぶりが中心であって、その余剰分、コップから溢れた分が周りに染み込んでいくみたいなことを僕らは考えてやっています。
冬休んだりするのもそもそも人来ないから、争ってもしょうがないから、冬の間することは、仕事であったり読書であったり、インプットすること、勉強することをすればいいと思っています。勉強じゃなくても手を動かせる人なら草鞋を編んだりすればいいけど、僕の場合そういうのがあまり得意じゃないから、人に会いに行ったり、人の話を聞くことに時間を使っています。

一見別々に見えるものとの間にある関係性を考えたい

ー やわい屋さんで行われるイベントやワークショップでは、様々な分野で活躍されている方がここに集い、交流の場になっています。

自分がやっているのは本屋でもなく器屋でもないんです。読書をするためというか‥自分の考えていること、哲学や思案をする時間を得るためにお店をやっているというか。なんとなくですが大学の先生に近い感覚だと思うんです。先生って全員が教育がしたくて大学にいるわけではなくて、自分の研究をして、いつか誰かの役に立つかもしれない、そうでもないかもしれないことに情熱と時間を費やしています。センター試験の監督するのが仕事じゃないと思うんです。だから僕の営みも、地域をよくしようとか何かをしようとかではなくて、単に研究がしたいっていう、圧倒的にそこの感覚が強くて、それは人と人。ものと人。地域と人‥そういう様々な関わりについての研究なんだろうって思っています。

4月には明治大学準教授で哲学者の鞍田崇さんらによるワークショップが開催されました。

だから、民藝店として扱っている器やものづくりの話だって、突き詰めていけば自分と他者とか、時代と自分とか、そういう関係性の話をしていて、自分自身のことと分離しては考えられないんです。例えば一見すると関係ないように見える間柄にも見えない繋がりがあったりして、そういう広がりを「類化性」と呼ぶんだけど、ジャンルや表層の言葉に惑わされないように気を付けて観察していると、他ジャンルだけど、同じ山頂を目指している人と出逢うことがあって、同じことを考えてる人とヒットする時があるんです。
一見別々に見えるものの間に、どういった関係性があるのかを考えるのは、現代では無意味にも思えることですが、だからこそすごく大事にしていきたいって最近思うんです。

ー ありがとうございました。


<朝倉さんにお話を聞いてみて>

取材中、圭一さんの元に地元の木工職人さんが訪れました。「サジを作ってみたんです」と、朝倉さんにそれを見せていました。それは技術どうこうという話ではない、何かをこの”やわい屋”に求めに来ているんだろうなと思いました。朝倉さんはこの場所に必要に生えた存在であることを目の当たりにしました。

今回朝倉さんのお話を聞き、以前淡々とおっしゃっていた「このお店は、お客さんに優しくなく自分に優しいお店だ」という言葉がすっと腑に落ちました。

ここでやっていくこと。この土地を選んだこと。なにが大切なのかをそこに暮らしている自分自身をただ大事に考え行動し、その繰り返しの中で新しいものが生まれたり、すでにあるものを愛しく感じれたりするのは、ごく自然なこと。森や畑や原っぱみたいに、雨が降って、土が育って草や木が生えてみんなそれぞれに共存しあって生きていくんだなと。

店のあちらこちらにあるキャプションやサインは、店長(奥様)の佳子さんによって描かれたもの。哲学的に物事を語る圭一さんと、対照的に、ドキッとさせられるような純真で素直な言葉と絵で思わず笑みがこぼれてしまう佳子さんのキャラクター。インタビュー中も1階から聞こえてくる佳子さんの明るい笑い声。そんな二人に会いに今日もまた各地から人は足を運ぶのだろうと思います。飛騨に訪れたら、ぜひやわい屋さんに足を運んでみてくださいね。


<ご自身でその土地に出向き買い付けてきた器や古本たち>

古本の値段表示には、すべて佳子さんの手書きのイラストやコメント付き。

建築に関する本もたくさんあります。

沖縄の器

木のパン皿


やわい屋のご紹介

民藝と本と暮らしのお店。
やわい屋

営業時間:11:00~17:00
定休日:木・金曜日

TEL 0577-77-9574
509-4121 岐阜県高山市国府町宇津江1372-2

プロモーション映像 https://youtu.be/go_2Vlfh22k

 やわい屋ブログ     https://yawaiya.amebaownd.com/


【 合宿プログラムのご案内 】


ヒダクマ/FabCafe Hidaでは、豊かな自然、職人気質の流れる伝統家屋の並ぶ街並み、美味しい食材や地酒を味わい、地域の人と触れ合いながら、ものづくりや製作に集中できるプログラムを提供しております。森歩きから木工初心者向けのお箸や家具作り体験、デザイナーや建築家向けのレジデンスプログラム、企業や団体向けの合宿プログラムがあります。 施設の詳細や、料金は以下のページをご覧ください。

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Author

  • 伊藤 優子

    FabCafe Hida/Hidakuma 森のコミュニケーター

    1986年生まれ。東濃ヒノキの産地・加子母出身。インテリア科の高校・専門学校卒業後、下呂温泉の仲居として9年間働く。2017年にFabCafe Hidaにジョインし、飛騨のまちで永く愛されるお店づくりをモットーに、cafeでのメニュー開発やイベント企画運営・宿泊を担当。定番メニューのカヌレなどを考案。地元の針葉樹の森と飛騨の広葉樹の森を繋げる架け橋になるのが夢。朝が好き。

    1986年生まれ。東濃ヒノキの産地・加子母出身。インテリア科の高校・専門学校卒業後、下呂温泉の仲居として9年間働く。2017年にFabCafe Hidaにジョインし、飛騨のまちで永く愛されるお店づくりをモットーに、cafeでのメニュー開発やイベント企画運営・宿泊を担当。定番メニューのカヌレなどを考案。地元の針葉樹の森と飛騨の広葉樹の森を繋げる架け橋になるのが夢。朝が好き。

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