Column
2018.10.3
嗅覚デザインラボ / OLFACTORY DESIGN LAB
「嗅覚デザイン」の可能性を探求するワークグループ「OLFACTORY DESIGN LAB(嗅覚デザインラボ)」。
8月30日に開催された第二回目のテーマは「Brain-shaking pheromones(脳を揺さぶるフェロモン)」。フェロモンの定義から香りとパーソナリティの結びつきまでを、『源氏物語』を手がかりに紐解いていきました。
イベント前編:ワークショップ&レクチャーのレポートはこちら
後編では、第二部の東京大学大学院 農学生命科学研究科教授である東原和成先生をお呼びしたトークイベントの様子をレポートします。
第二部:トークセッション&レクチャー「エロスとフェロモン、香りとパーソナリティー」
- オープニングトーク、ゲスト紹介
- クロストーク「エロスとフェロモン、香りとパーソナリティー」
- Q&A
- 懇親会
「人×香り」という組み合わせで脳裏をよぎるのが「フェロモン」。言葉は知りこそすれ、それが一体何を指すのかイマイチ……という人も多いはず。第二部では、FabCafe MTRLのプロデューサー・弁慶が、東原先生、MAKIさんとのクロストークを通じ、フェロモンの正体を紐解いていきます。
――そもそも、フェロモンって実際どういったものなんでしょう
東原:テレビに映った女性に対してフェロモンって感じますか?フェロモンの定義からいうと感じないはずです。目や耳からの情報に対しては感じない物質なんです。なおかつ、人間なら人間、ネズミならネズミなど同じ種同士で感じ、ある特定の行動あるいは性的な変化を引き起こすものです。
「ある特定の行動」とは、例えば「引き寄せられる」などですね。蟻が餌に向かって列を成すのも蟻が出す「道しるべフェロモン」によるものです。「性的な変化」とは、例えば「発情する」など。同性同士でも、女性寮でのフェロモンによる性周期の同調の例をアメリカのマクリントックという研究者が挙げています。ただ、人間のフェロモン物質は未発見なので実証はされていませんが。
――なるほど。『源氏物語』で香りによって惹きつけられるというのは、フェロモンに近いものなんでしょうか
東原:『源氏物語』における匂いのポイントは2点あって、1つは薫物合や香道と同じで「識別できるかどうか」という点。貴族たちが微妙な違いを識別できるか嗅覚の能力を競うわけです。
もう一つは、何か見えるようで見えない、匂えるようで匂えないという表現。パンチラとかでもそうなんですけど、隠れているっていうのが「エロス」なんですよ。
――(笑)
東原:焚き物やワインなんかもそうで、気がつかない内に惹きつけられちゃう。見えるか見えないかわからない状況で、それを知りたくてまた嗅ぎたくなる。「惹きつけられる」ということを広義の意味での「フェロモン」とすれば、惹きつけられる魅力「フェロモン」がある。というのが源氏物語における香りのポイントだと思います。
――なるほどです。MAKIさんはどう思いますか?
MAKI:源氏はプレイボーイで色々な女性のところを泊まり歩いていましたが、源氏自身に特徴的な体臭があったので、当時の夜這い文化の中でも香りだけで殿かどうかが分かる。という話もあったみたいですね。
東原:だいたいそういうケースってワキガって言われてますよね。楊貴妃と玄宗皇帝の話もそうじゃないかと言われている。真相はわからないですけどね。でもそれが、好きな人の匂いだったらで「良い匂い」になる……不思議なところです。
MAKI:だとしたら、源氏の体臭は多くの女性の公約数的な好みだったんでしょうか。
東原:匂いって結局フェイクなんですよ。匂いの研究されてる方に言うのもなんなんですけど。その時のシチュエーションやコンテクストで好きになったり嫌いになったり心地よかったりする。匂いは付随しているものであって、好きな人がその香りを身につけていたら好きになっちゃう。
MAKI:嫌いな香水でも好きになっちゃいますか?
東原:なっちゃう。でも体臭は結構誤魔化せないって言いますね。やっぱり気になっちゃう。
MAKI:源氏は焚き物を相当頑張っていた人なので、姫様はそれを好きになっちゃったのかな。焚き物はお金持ちの証でもあるし。それで恋をしてしまって「殿は良い香り」という設定になってしまう。
東原:香りは視覚や聴覚と違って、その香りと情動と記憶が密接に結びついて記憶されますから、そのパワーは強い。いくら口説いても、いくら良いカッコをしても、その後すぐ忘れちゃう。ところが、香りはそこに香りが有るか無いかでその後の記憶と情動に影響を与えます。
MAKI:そうですね、情動ですよね。「恋しい」っていう。
――人の体臭には嗅ぎ分けられるレベルでの固有差はあるんでしょうか
東原:もちろん民族、例えば韓国人とインド人と日本人とで、食べているものが違うと体臭は違う。日本人の間でも食文化の違う人同士では微妙に違いますが、基本的なベースの体臭は同じです。
匂いの個人差というのは食生活と遺伝型の違いです。遺伝型が違うということは代謝が違うということですから、匂いにも個人差が生まれてくる。それが嗅ぎ分けられる人は居ますし、気がつかない人もいます。ヘレンケラーのように視覚と聴覚がない人の場合は、嗅覚情報の影響が大きいので、匂いだけで誰が通ったか分かったりもします。
MAKI:私も石垣島に移ってガス屋のおじちゃんが何も無い空間に入って来た時に、すごい良い香りがして「なんだこれ」って(笑)。
で、また別の日にホームセンターで「気になる香りだ」と思って匂いをたどって行ったら、今度はおばちゃんだったんです。おじちゃんでもおばちゃんでもなく、微生物なのかなんなのか……。多分、石垣島の人の体臭が好きなんだと思います。
東原:そうですね。土地によって微生物も違って、その結果人間の状態も変わってくるでしょうし。植物も動物もみんな違うので、その空間の匂いというのは変わってきますね。その空間の匂いがあるからこそ、特定の食べ物を食べると美味しく感じたりもします。
MAKI:オリオンビールとか。
東原:そうそう、オリオンビールは沖縄で飲むとすごい美味しいけど、東京で飲むとちょっと違いますよね。それと同じ。
MAKI:泡盛も東京に持ち帰って飲んでも、全然同じ味がしないんですよね。
――「父親の匂いが嫌になる」みたいな状況はどうでしょう?
東原:あれは大体「親父は臭い」という情報のせいですね。本当はお父さんの匂いは好きな筈で。
「Tシャツ実験」というものがありまして、男性20人に白いTシャツを着させてから女性たちにどの匂いが心地よいか聞くと、大体は遺伝型が離れているものか近いもののどちらかを選ぶんです。「親父は臭い」という情報が思春期に入ってくるけど、情報を抜きにして匂いだけを嗅ぐと実は好きな匂いだったりする。足の裏の匂いも「臭い」というレッテルが貼られているけど、好きで嗅いじゃう人もいますよね。これも情報で印象がつくられている。
――今から会場に香りのサンプルを回します。嗅いでも何の匂いに似ているかはまだ言わないでください。
東原:では3択で手を上げてくださいね。この匂いが好きな人、嫌いな人、どちらでもない人。
(会場は「どちらでもない」方ががほとんど)
東原:そうですね、毎回そうなんです。ではどんな匂いでした?
(枕の匂い、脂っぽい匂い、甘酒の匂い、という声が上がりました)
東原:ちょっと発酵してる感じですかね。きゅうりのような匂いがしたと思う方は?
いますね。きゅうり、脂、絵の具のようなにおい……。もうお判りの方もいると思いますが、これは加齢臭です。
(会場)えーーーーーーーーーーーーーーー
東原:年代によって増える匂いの物質があり、体臭は変わっていきます。この匂いは加齢臭として嗅ぐと臭いかもしれないですけど、どちらでもない方が多かったですよね。やっぱり先入観で臭いと感じている。
で、この体臭というものはついもう一度嗅ぎたくなる。これは言葉を変えれば惹かれている、魅力があるということです。体臭って元々は魅力的なものなんです。
――MAKIさんは「フェロモン」について印象的な経験などありますか?
MAKI:アムステルダムのステージでダンサーの体臭を抽出し、香水にしてショーのカタログとして売ったことがあります。それを別の講座でお年寄りの方に嗅いでもらったら、同性の香りは分からないけれど、異性の香りには気づいた。年をとっても異性の香りは嗅げるんだ!と思った経験があります。科学的なことはわからないですけどね。
あとは、京都で『源氏物語』のセッティングで「ねるとん」をやりました。当時の男女のやりとりって御簾ごしのやりとりで、姫様から香る匂いや隙間から見える黒髪に惹かれて好きになる。特殊な恋の仕方ですよね。そんなことがありえるのか?ということで、和室で御簾と侍女をセッティングして男女を募り、女性は男性が書いた文でパートナーを選ぶというセッションをやりました。
男性たちの意見が面白くて、何も見えない状態で優勢だった視覚情報が奪われると緊張で匂いどころでは無くなって、どうしたら良いのか分からない、と。声を少しでも聞きたくて姫が侍女にするひそひそ話に耳を済ませたり。あとはその実験では嗅覚よりも第六感が大事にされる結果になりました。女装するのが好きな男性がいて男女両サイドに参加したんですけど、女性として参加したときに御簾越しに対面した親友が瞬間的に分かったみたいです。なんで分かったのか聞いても「第六感で」ということだったんですけど。
東原:その実験では体臭のやりとりはしたんですか?
MAKI:スカーフの匂いを嗅ぐ、ということはやりましたが、その時は「直接的すぎる」となってしまって。
東原:距離感が難しいんですよね。見る時は遠くてよくて、聞く時は少し距離が近づいて、匂いになるともっと近くなる。その人との距離感でどの五感を使うかというのが変わってくる。付き合ってみて体臭が気になるようになったり。
MAKI:その実験の場ではみんな聴覚を頼りにしていた印象でしたね。
東原:『源氏物語』の登場人物はたっぷり香りをつけているので、御簾ごしでも十分に匂いは伝わったんです。特に日本家屋は風通しが良いので匂いのやりとりがしやすい空間だと思います。アメリカや欧米諸国の家は気密性が高くて、匂いによるコミュニケーションは日本とは違う。
日本でも近年は気密性の高い家になってきていて匂いも逃げないから、消臭志向が進んでいます。
Q&A
東原先生の学術的な知見からMAKIさんの石垣島での体験まで、幅広くお話しいただき「フェロモンは匂いではない、人の情動を呼び起こす物質なんだ」ということが分かったところで、参加者のみなさんから質問を集め、お二人にお答えいただきました。
ありがたいことに沢山の質問が寄せられ載せきれないので、ここでは一部を抜粋して紹介します。
――人を問わず同じ印象を受ける香りってありますか?
東原:特定の目的で使われている匂い、例えば50代以上の人にとって金木犀の香りはトイレの匂いで、20代ならラベンダーがトイレの香りとかですね。
――食習慣以外で体臭が変わる原因は?
東原:心身ともに健康ならいい匂いのはずですが、病気に罹ったときや極度の恐怖、ストレスを感じた時に変わります。バンジージャンプをする時や子供が注射を打たれる時には強烈な匂いが出ることがあります。
――行動と香りが結びつく瞬間、タイミングは?
東原:「3.11の記憶に結びつく匂い」とか、強烈な印象の瞬間に嗅いだものは一瞬で結びつきます。
脳の中の記憶や情動を司る場所と匂いを司る場所は近いので、考えるより早く記憶に結びつくのかもしれません。
――「無香料」って何ですか?
東原:お茶の「無香料」という表現はちょっと変ですよね。これは人工的な香料は入っていないという意味で、匂いがない状態というものはそもそもありえない。感じ取れなくても脳は反応しています。
本当に香りがなくなると、視覚や聴覚を失った時よりも心配です。というのも、嗅覚を失った場合の5年以内の死亡率が他の感覚にくらべても高いんです。
――日本独自の香りの感じ方ってありますか?
東原:日本食は味も香りも繊細です。日本料理は香りがないと美味しくなくなる。
「イヌイットは動物臭に敏感」など民族的・生活的な違いはあるけど、日本独自というと難しいです。傾向で言えば日本人はほのかな香りが好きで、近年は強い匂いは排除する傾向がありますね。
――好きな匂いってありますか?
MAKI:香りを仕事にするまではあったけど、今は苦手な匂い以外は特にないですね。
東原:僕はその日によって気分次第で感じ方が変わります。
ワインと料理の組み合わせでぐっときたりもするけど、あとで覚えていないこともあるし。簡単に分かるものより分からない匂いの方が好きですね
MAKI:記憶っていうより情動ですよね。
香りを具体的には思い出せないけど、香りを嗅いだときの気持ちを思い出す。
元彼の背中のビジュアルは具体的に思い出せたりします。
東原:「匂いが記憶に結びつく」ってよく言うけど、僕は正直、思い出せないことが多いんですよね。
「こんな気持ちのときに嗅いだ匂い」というのはあるけど。
――音楽でノイズキャンセリングができるように、香りも引き算できますか?
東原:無臭にするのは難しいけど、感じにくくさせることは出来ます。
例えば肉のくさみをとるためにハーブを使って匂いの質を変える。足の裏の匂いにバニラを足すとチョコレートの匂いになる、という話もありますね。
懇親会
通し参加の方は約5時間(!)に渡っての開催。
最後は東原先生イチオシのお酒を飲み比べしながらの懇親会です。東原先生、MAKIさん、そして参加者のみなさま、お疲れ様でした!
「ソガ・ペール・エ・フィス ル・サケ・エロティック」の裏ラベルにはこんなテキストが。
“辛い恋慕や狂おしい恋愛を経た大人の男女にしか解らない小布施のsakeの香味はオコチャマの大人に間違って飲まれる危険があるため刺戟的な名「Sake Erotique」にしました。”
な、なるほど……この日本酒の良さがわかれば一端の大人ということでしょうか。
私は狂おしい恋愛は経ていませんが美味しかったです。東原先生、ごちそうさまでした!
まとめ
「昔、彼氏に自分の香水を選んでもらったら、自分が選ぶものとは全く違うものだった」と言うMAKIさん。香水を「自分を表すもの=パーソナリティ」として考えると、新しい香りの楽しみ方が出来そう。友達、家族、恋人……近しい人と香水を選び合ってみたいです。
また、香りと情動の結びつきのお話も印象的。私も冬の夜のにおいが大好きで、胸いっぱいに吸うと切ない気持ちになるんですが、これが何の記憶に結びついているのか思い出せずにいます。
イベント自体も学びがあり、家に帰ってからも考えさせられることの多い嗅覚デザインラボ。次回も楽しみです。
(テキスト、写真:田中慧子)
嗅覚デザインラボ(OLFACTORY DESIGN LAB)
「嗅覚デザインラボ」は、ロフトワーク / FabCafe MTRLとMAKI UEDAのコラボレーションで生まれた嗅覚のための実験場です。新しいコミュニケーション・ツールとしての「嗅覚」をデザインするプロジェクトで、3ヶ月に1回ペースでの開催を予定しています。次回の開催日時や概要は、決まり次第FabCafe MTRL イベントページよりお知らせします。
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嗅覚デザインラボ / OLFACTORY DESIGN LAB
「嗅覚デザインラボ」は、嗅覚のための実験場です。新しいコミュニケーション・ツールとしての「嗅覚」をデザインします。素材がテーマのプロトタイピング/プロジェクトスペース「FabCafe MTRL」(FabCafe Tokyo 2F)にて開催します。
「嗅覚デザインラボ」は、嗅覚のための実験場です。新しいコミュニケーション・ツールとしての「嗅覚」をデザインします。素材がテーマのプロトタイピング/プロジェクトスペース「FabCafe MTRL」(FabCafe Tokyo 2F)にて開催します。