Interview

2020.4.20

800年続く飛騨の冬仕事・山中和紙と共に生きる〜長尾隆司さんと清水忠夫さんを訪ねました〜

伊藤 優子

FabCafe Hida/Hidakuma 森のコミュニケーター

いつもcafeで、地域内外のお客様をお迎えする私たちが、FabCafe Hidaを飛び出して、飛騨で活躍される様々な人と出会い、まだ知らない飛騨の魅力を知り、訪れる方にその魅力を伝えたい。そんな思いを持って今年の冬、FabCafeメンバーで訪れたのは、飛騨北部の河合町。

「今年は暖冬だね」と言っていた昨日までぽかぽか陽気はどこへやら。その日は久しぶりの大雪。FabCafe Hidaのある古川から、富山方面に30分ほど車で走ると景色がどんどん変わっていきます。飛騨市の中でも豪雪地帯である河合町には、800年もの間続く伝統産業の『山中和紙』があります。その山中和紙の魅力を知るため、作り手である長尾隆司さんと長尾さんの師匠である清水さんを訪ねました。

長尾さんは下呂市出身。進学した農業大学校の研修で訪れたのが飛騨市河合町で、気候や人の縁に惹かれ、河合町での就農を決めたそう。夏はトマトを栽培する長尾農園を営んでおられます。また、清水さんに師事し、冬の生業として「山中和紙」の伝統を受け継いでおられます。

山中(さんちゅう)和紙とは。

山中和紙は、飛騨市河合町で鎌倉時代(約800年前)から続く伝統の手漉き和紙。
現在でも全て手作業による技法をかたくなに守り、特に雪の上で楮(こうぞ)をさらして自然漂白する工法は、日光に当て、紫外線とオゾンの働きと雪によって白くなるという、全国でも非常に珍しい豪雪地帯ゆえの独特のもの。和紙の原料の楮(こうぞ)やネレといわれるつなぎの糊の原料であるトロロアオイ(ハナオクラ)は、すべて自ら生産されています。紙は丈夫で素朴な風合いが魅力。山中和紙は農家の冬仕事として伝承されてきました。障子の紙として使われたり、地元の保育園では、自分の卒園証書を自分で漉いて作るなど、地域の人々とっては馴染みのある和紙です。

△乾燥した楮。

意外性のある用途。こんなものに使われていた山中和紙。

「今年は地元がよく使ってくれたんです。提灯のような照明のシェードとか。」と長尾さん。今は、薬事法の改正で使われなくなったが、温泉で有名な下呂市に昔から伝わる“ 下呂膏 ”という膏薬の台紙として使われていたそう。めずらしい使われ方としては、高山市の飲屋街にある、半弓道場という娯楽施設の弓矢の的の紙にも使われているそうです。

cafeスタッフの大田が「先日、FabCafe Hidaで行われた味噌作りワークショップの時に、味噌作りの蓋として和紙が使われることがあると教えてもらいました。」と話すと、「そうですね、抗菌作用や通気性があるので、カビが生えないんですよ。」と長尾さん。意外な山中和紙の使用にびっくりしましたが、もっといろんな使い方ができるんじゃないかと可能性を感じました。

見ているだけとやってみるのでは大違いの紙漉き初体験。

長尾さんの作業場で特別に紙漉き体験させてもらえることに。「綺麗にできるかな?これで大丈夫ですか?」と長尾さんの紙漉きをお手本に見よう見まねで、何度も聞く私たちに、にっこりと優しい眼差しの長尾さん。

ケタと言われる型枠と簾を合わせて紙を漉く。無駄のない動作は難しかったのですが、初心者の私たちでも漉くことができました。

漉いては重ね、圧搾して低温で乾燥させ、紙ができていく。紙を漉くという作業は、ほんの一部分ですが、紙の為に寒さを保った作業場での作業。暖かいと原料がすぐ傷んでしまうため、作業を行う部屋も温めることはできない。その厳しさの中にある、とても美しい瞬間を感じることができました。

 

  • 「飛騨の障子に合わせた飛騨版というサイズのものもある」と長尾さん。飛騨の家は、柱が太い分、障子が狭いのだそう

  • 新品のように綺麗な飛騨版の簾。

  • 4人が漉いて重なったもの。


山中和紙を伝えること

もう一人の山中和紙の後継者である近谷さんという方が、イラストでわかりやすく山中和紙の工程を描いたものを見せていただきました。山中和紙の後継者は現在長尾さんと近谷さんのおふたり。多くの人に伝えていこうという気持ちのこもった誰がみてもわかりやすく、とても愛らしいイラストでした。

家族との時間が多い暮らしが好き

長尾さんの作業場には、紙漉きから乾燥までの工程に必要な設備がありましたが、それ以外のものは師匠の作業場にある。ということで、私たちは、長尾さんの師匠である清水さんのところへ向かうことに。別れ際、生まれたばかりだというお子さんを抱きかかえて奥様がご挨拶に出てきてくださいました。長尾さんは最後に、「下呂市から移住して、地元出身の奥様と結婚し子供たちも生まれて家族と過ごす時間の多いこの暮らしが好きなんです。」と話してくださいました。


今も昔も変わらぬ冬仕事

「はじまりは、小遣い稼ぎのお手伝いだった。」
そう語るのは、長尾さんの師匠である、清水忠夫さん。長尾さんのお宅から車で10分ほど移動するとある有家という地域にお住まいです。

82歳で今も現役で紙漉きをされている清水さんは、中学校卒業してから山中和紙を始めた。最初はお小遣い稼ぎに、おばあちゃんのお手伝いをしていたそう。その頃は河合で山中和紙を作っている家は20軒ほどあったが、現在は2軒。最初は、他の飛騨地域の宮川や神岡にもあり、「飛騨紙」と言われていたが、古川などからみると河合は山の中ということで、(さんちゅうわし)と言われるようになったそうです。

原料となる楮(こうぞ)という植物を乾燥させたものを見せてくれる清水さん。飛騨の楮は、長く4メートル近くまで育つこともあるそうで、繊維が強いのが特徴。1m20cmに切りそろえ蒸して、皮を剥ぎ、束ねて干す。

「私らは、夏は田んぼ作って、焼畑もやって蚕を飼っていた。米をつくったりしていたんです。山中和紙が、ここらの冬仕事という位置付けなのは今も昔も変わらんのだよ」と清水さんは教えてくれました。

金沢の工業大学の学生が和紙で作った鞄、帽子、座布団などの作品。柿渋や、革をなめす時にでる粉を混ぜて作ったのだそう。様々な人が清水さんを訪ね、写真を撮ったり、本を一緒に作ったり、山中和紙を活かしたものづくりに関わってきたことがわかりました。そのように山中和紙で繋がったご縁を清水さんはとても大事にされています。

「60年やっていてこんなに雪のない年は初めて。でも、色んな人がこうやって写真を撮ってくれるから伝えられるんだよ。」と、清水さんは嬉しそう。雪ざらしの様子など、たくさんの写真や資料を見せてくださいました。

お話を聞いていると、関わってきた方のお名前はフルネームできちんと教えてくださいます。清水さんの資料のおかれた部屋には互いの感謝の気持ちが感じられるようでした。


営みのサイクルは人の思いで続いていく

今回、山中和紙について初めてお話を聞いたり、現場を見させていただいて身近にある『紙』とは違う「和紙」がどのようにできているのか、なぜ飛騨の河合という地域でこのような伝統文化が生まれ今も続いているのかを知ることができました。
この地域に生まれ育ち山中和紙と共に生きてきた人と、それを受け継ぐ人。それぞれにお話をきいて、日々の営みを大事に生きていることがわかりました。
今回、訪問させていただいたお二方共に、作業場は住居と隣りあっているのも、紙漉きが暮らしの一部のように感じられたことのひとつでした。また、夏は夏仕事、冬は冬仕事と、自然のリズムに合わせた働き方も魅力のひとつに感じました。
「雪が真っ白にしてくれる。」そんな魔法のような言葉が漉いた紙のように、ナチュラルに伝わる。受け継ぐ人は、そこに寄り添って日常を続けてきただけなのかもしれません。当たり前という一番尊く、触れてみないと気づかないささやかなもの。でもとても厳しいもの。だからこそ、価値がある。
「はじまりは、家族の手伝いで、小遣いかせぎだった。」
そんな当たり前の日常から、脈々と受け継がれた伝統文化は、それ自体が素晴らしく誇れるものであり、暮らしを豊かにするものです。

家族や地域という小さなコミュニティの中で暮らし働くという営みを大事にしたい。そう、感じる時間でした。ここでしかない風景は、どこに行っても、どこに居てもすぐそばにあるんだよ。と教えられたようでした。

後日、長尾さんは、私たちが紙漉き体験をしたものを仕上げ届けてくれました。少し触れただけでわかる素朴さの中にある芯の通った強さを感じる和紙。生成り色の優しい風合いと存在感を持っていました。
長尾さん、清水さん、ありがとうございました。


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  • 伊藤 優子

    FabCafe Hida/Hidakuma 森のコミュニケーター

    1986年生まれ。東濃ヒノキの産地・加子母出身。インテリア科の高校・専門学校卒業後、下呂温泉の仲居として9年間働く。2017年にFabCafe Hidaにジョインし、飛騨のまちで永く愛されるお店づくりをモットーに、cafeでのメニュー開発やイベント企画運営・宿泊を担当。定番メニューのカヌレなどを考案。地元の針葉樹の森と飛騨の広葉樹の森を繋げる架け橋になるのが夢。朝が好き。

    1986年生まれ。東濃ヒノキの産地・加子母出身。インテリア科の高校・専門学校卒業後、下呂温泉の仲居として9年間働く。2017年にFabCafe Hidaにジョインし、飛騨のまちで永く愛されるお店づくりをモットーに、cafeでのメニュー開発やイベント企画運営・宿泊を担当。定番メニューのカヌレなどを考案。地元の針葉樹の森と飛騨の広葉樹の森を繋げる架け橋になるのが夢。朝が好き。

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