Column
2022.7.19
東 芽以子 / Meiko Higashi
FabCafe Nagoya PR
岐阜県南部に位置する各務原市。
市街地から車を走らせると、山間部にいくつもの工業地が見えてくる。
もともと耕作地に不向きな原野だったこの一体は、戦後、航空宇宙産業や自動車産業の関連工場が中心となって発展してきた。
その一角に、建材メーカーである「株式会社エスウッド」が工場を構える。
地元、岐阜県産の間伐材にこだわって、「ストランドボード 」と呼ばれる建築物の内装仕上げ材を製造している株式会社エスウッド。
見学に訪れると、工場は、無機質な外観とは対照的に、山を分け入った時に香る、心休まる森林の香りがする。
炎天下のこの日は、エスウッドで長年働く職人達が、肩並べて黙々と製造に当たっていた。
写真: エスウッドのストランドボード。染色でデザイン性が表現される(写真左下)。
代表の長田さんの案内で工場の一室に入ると、エスウッドが主に製造する「ストランドボード 」が一面に展示されていた。
それは、間伐材を薄いチップに削り、乾燥後、特殊な接着剤を塗装して圧縮したパネル型の内装材だ。
その素材のバリエーションは豊かで、ヒノキやスギにとどまらず、ホオノキやキハダといった、建材としては一般的でない広葉樹も含めて、多品種に渡る。
また、ボードに植物が原料の染色を施すと、ぬくもりや表情が増し、デザイン性にも富んでいる。
そもそも、ストランドボード は、OSB(オリエンティッド ストランドボード)として、低利用材の有効な利用手段として北米を中心に流通する建築物の下地材だ。
国内でも、数十年前から製品化のための研究開発が行われているが、採算性に課題があり、現在、主力商品として供給する企業はゼロに等しい。
しかしエスウッドは、そんな「ニッチな仕上げ材」のポテンシャルに20年以上こだわり続けてきた。
大量生産、大量消費が当たり前だった1990年代、岐阜の山々で資材用の樹木が次々と切り出された後、山に残される間伐材や使い道のない根や枝の残骸、そして、商品にならない形の悪い木々を日々目にしていたからだった。
株式会社エスウッド・長田剛和 代表
「当時は、間伐材への注目度や認知度も低く、生産効率性の悪い細い丸太は誰も使いたがりませんでした。ですが、先代(創業者・角田 惇氏)の将来を見据えたビジョンのもと、間伐材のマテリアル活用や製品化は将来的に必ず誰かがやる必要がある、と強い気持ちで取り組みをスタートさせました。
山では林地残材が腐り、土壌や河川水質へ悪影響を及ぼしている状況を目の当たりにしていて、誰かがなんとかしないといけない”という問題意識があったからだと思います。」
エスウッドの工場。極薄く削られたチップ(写真右上)がプレスされた様子(写真左下)。
建材に向かない間伐材を、どう有効利用するのか。
「細いのならば、いっそ、チップにすればよい」と、着目したのがストランドボードだった。
1999年、エスウッドの前身である協同組合を木材メーカーなど4社で作り、“新しくて付加価値のある”ストランドボードの研究に乗り出した 。
ホルムアルデヒドなどの有害物質の放散を最小限に抑えるため、接着材を自社製造し、子どもが舐めても問題ないレベル(欧州規格)にまで質を高めた。
また、輸入OSBで使用されるチップの1/2以下にまで木を薄く削る技術を極めたことで、滑らかさや木の個性を表現できるようになり、単なる下地材であったストランドボード を内装材に“格上げ”することができるようになった。
しかし、スムーズだった技術開発とは対照的に、苦戦を強いられたのが販路開拓だった。
そうしたバイアスを払拭し、森林健全化へのナラティブを内包する「新生ストランドボード」の付加価値を理解してもらうため、長田さんは、実に10年もの時間をかけ、営業活動や勉強会に東奔西走した。
東京大学農学部弥生講堂アネックス
時の経過がビジネスチャンスを運んでくることもある。
2010年代に入り、環境配慮が社会通念として浸透し、木材利用を促進する法律が施行されると、東京大学農学部や福井市の中学校などエスウッドの理念に共感する教育機関から「未来」を担う子供たちを育む学校の内装材にと、オーダーが舞い込むようになった。
福井市至民中学校
みんなの森 ぎふ メディアコスモス
ストランドボード製造技術を利用したテーブル
次第に、エスウッドの理念が共感を呼び、製品コンセプトやデザインの新しさが多くの人を魅了するようになった。
すると、ストランドボードは、岐阜から全国へと歩き始めた。
“意匠”を纏ったストランドボード。新聞紙製(左上)、もみがら製(右上)、イグサ製(左下)、茶がら製(右下)
大手百貨店、外資系カフェ、大手新聞社、アパレルメーカーなど、この10年、誰もが知る企業からの依頼が殺到した。
材料は「間伐材」という定義を越え、「もみがら」「コーヒー豆のカス」「木の葉や実」「新聞紙」「デニム」など、いつの間にか、各産業から出る「端材」へとシフトしていた。
ニッチな下地材だったストランドボード は、オリジナリティー溢れる“意匠”を纏って、内
装材として空間を飾り、家具や什器の仕上げ材として素材オリジナルの“らしさ”を提供し、企業の環境問題に対するCSRの精神を彩ってきた。
市場で太さ別に番号がふられた間伐材。エスウッドが使用するのは、製品製造に向かず、バイオマス燃料やパルプとして使用される小径木。径級14cm以下(実寸20cm以下)。
創業から20年以上。
社会的な課題にも手を貸すようになった。
岐阜・白川の茶葉、滋賀・琵琶湖の「ヨシ」、また、熊本の「イグサ」など、現代では利用率が減ってしまった伝統的な作物は、処理に困る「廃棄物」として各地で悩みの種となっている。
それらがひとたびエスウッドに運び込まれると、“意匠”という付加価値あるマテリアルとして扱われ、オリジナルのストランドボードへと加工することで、室内空間を彩る内装材や家具の仕上げ材などへと生まれ変わってきた。
「ニーズはある」と、確かな手応えを感じた長田さんは、いつか事業を全国展開し、各地の間伐材や廃棄物から付加価値のある“ものづくり”を展開することを夢見ている。
長田代表
「エスウッドは、多品種、少量生産。ですが、いろいろな製造業者が大量廃棄しているものがあれば、それを原料に、ものづくりをするお手伝いができます。それがひいては、廃棄物ゼロのシステムの一助となれは嬉しいです。」
森林の健全化を推進するとともに、廃棄物ゼロへも貢献する。
市場原理より企業理念に重きを置くエスウッドのような企業が台頭してくれば、生産活動が無駄なく循環するサーキュラーエコノミーへ移行する日も、そう遠くないのかもしれない。
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株式会社エスウッド
1999年、岐阜・各務原市で協同組合として設立したエスウッド。間伐材を有効活用して森林を健全化したいという願いから、桧を使った国内初のストランドボードの生産を開始。現在では間伐材のみならず、イグサ、新聞紙、デニムなど、異素材かつ廃棄物などを“意匠”化した製品製造に取り組み、サーキュラーエコノミーを推進している。
1999年、岐阜・各務原市で協同組合として設立したエスウッド。間伐材を有効活用して森林を健全化したいという願いから、桧を使った国内初のストランドボードの生産を開始。現在では間伐材のみならず、イグサ、新聞紙、デニムなど、異素材かつ廃棄物などを“意匠”化した製品製造に取り組み、サーキュラーエコノミーを推進している。
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東 芽以子 / Meiko Higashi
FabCafe Nagoya PR
新潟県出身、北海道育ち。仙台と名古屋のテレビ局でニュース番組の報道記者として働く。司法、行政、経済など幅広い分野で、取材、撮影、編集、リポートを担い、情報を「正しく」「迅速に」伝える技術を磨く。
「美しい宇宙」という言葉から名付けた愛娘を教育する中で、環境問題に自ら一歩踏み出す必要性を感じ、FabCafeNagoyaにジョイン。「本質的×クリエイティブ」をテーマに、情報をローカライズして正しく言語化することの付加価値を追求していく。
趣味はキャンプ、メディテーション、ボーダーコリーとの戯れ。
新潟県出身、北海道育ち。仙台と名古屋のテレビ局でニュース番組の報道記者として働く。司法、行政、経済など幅広い分野で、取材、撮影、編集、リポートを担い、情報を「正しく」「迅速に」伝える技術を磨く。
「美しい宇宙」という言葉から名付けた愛娘を教育する中で、環境問題に自ら一歩踏み出す必要性を感じ、FabCafeNagoyaにジョイン。「本質的×クリエイティブ」をテーマに、情報をローカライズして正しく言語化することの付加価値を追求していく。
趣味はキャンプ、メディテーション、ボーダーコリーとの戯れ。