Event report
2020.9.18
FabCafe Hida 編集部
※本イベントは、新型コロナウィルス感染拡大対策を万全にした上で、実施いたしました
FabCafe Hidaは8月2日、お酒を片手に地域の方々と語らうイベント、語り「Bar」を実施しました。今回は、銘酒「白真弓」で知られる蒲酒造場の13代目当主・蒲敦子(かば・あつこ)さんをゲストに迎えました。聞き手は、前回に引き続き都竹淳也(つづく・じゅんや)飛騨市長。お酒造りから、地酒と地域の繋がりといった様々な切り口でトークが展開されました。本レポートでは、トークセッションの内容の一部を、当日の様子とともにお届けいたします。
語り「Bar」とは
「語りBar」は毎回ゲストを迎え、飛騨市長が聞き手となって、集まったみなさんとお酒を片手にゆる〜く語らうイベントです。夜の「FabCafe Hida」を集いの場とし、いつもと違う語りの場から何かが生まれればとの思いで、2017年より定期的に開催してきました。昨年からは飛騨市長に聞き手とゲスト選出をお願いし、飛騨市民の皆さんにもご協力をいただき、開催しております。
蒲敦子
1963年、古川町生まれ。1986年、蒲酒造場に入社し、2017年から代表取締役を務める。13代目当主。大学生時代の4年間を除き、全て壱之町で生活している生粋の古川人。蒲酒造場についてはこちらから→https://www.yancha.com/
都竹淳也飛騨市長
1967年、古川生まれ。筑波大学社会学類卒業後、1989年に岐阜県庁へ入庁。その後、自治体国際化協会シンガポール事務所所長補佐や知事秘書、障がい児者医療推進室長などを歴任。2015年に県庁を退職。翌2016年、飛騨市長選挙で初当選し、現職に就任(現在2期目)。
蒲敦子さんが13代目当主を務める蒲酒造場は、古川町壱之町にある宝永元年(1704年)に創業した酒蔵です。酒造株(免許)を取得してお酒造りを始めたのは2代目からで、創業当時は富山や越中との交易をしていたそう。現在では、10種類以上のお酒を製造・販売されています。
市長:創業が1704年だと、(お酒造りは)ざっと300年ですかね。
蒲さん:そうですね。でも今みたいにガッツリお酒造りをしていたわけではないようです。今の建物自体は、私の知る限り何軒か継ぎ足しているんですね。それを見ると、家内で小さく造っていたようです。さっき市長と話してました、古川大火が明治37年にあったときの派手な焼け跡が、昭和まではうちにもありました。
市長:あったんですか!
蒲さん:それが蔵を増築するうちに敷地の中央地点にきてしまって、どうしても改築が必要で取り壊してしちゃったんですけど、その敷地辺りまででやっていたようです。
市長:規模は今よりもっと小さかったんですね。
蒲さん:はい。
市長:古川は結構、お酒造りをしていたんですよね。ここ(FabCafe Hida)も建物の裏にある蔵でお酒を造っていたんですよね。
蒲さん:高山も含めると、飛騨地域に五十数件は酒蔵があったみたいです。それが、戦後の統制などにより今の規模になりました。
お酒は明治・大正における国税収入の大きな割合を占めていました。現在でもお酒は課税対象で、酒税は1リットルあたり120円。重要な課税対象とだけあって管理も厳しく、運搬中などに漏れたりした際には「亡失○○リットル」と記録を残すことが義務付けられています。昔はFabCafe Hidaの周辺にも酒蔵が何軒かあり、今は小売店でも、昔はお酒を造っていたというお店もあるそうです。
現在、蒲酒造場が生産するお酒の6割は地元向けの卸販売が占めているそう。その中で、お土産需要により市外で消費されるものもあるそうですが、いずれにしても蒲酒造場のお酒が「地酒」として愛されていることが分かります。また、古川の居酒屋をはじめとした飲食店では、地元の酒蔵である蒲酒造場と渡辺酒造のお酒しか置いてない場合がほとんど。その郷土愛は、隣接する高山市の酒蔵から「高山の酒は絶対に古川では売れん」と言われるほど強いそう。「古川やんちゃ」と言われる、地元愛に溢れ、勇しく頼もしい古川人の気質を表したエピソードでしょう。
市長:県庁時代、平成14年くらいまでなんですけど、市町村別の消費量を統計で出していました。人口あたりの酒の消費量は古川町がダントツ1位。僅差じゃなく、ドンと高くて1位だったのが驚きでした。
蒲さん:ありがたいことですよ。町内会の旅行にバスとかで行くじゃないですか。バスには酒燗設備が付いてたんですよ。それがないとこの辺の人は怒るんですけど。そこで、出発時にお酒を1箱買ってバスに乗って、無くなったころに、お酒を買い込みますよね。そうすると、本当にありがたいことに「飛騨のお酒じゃないからおいしくない」って言ってくれるの。きっとそのお酒もおいしいんですよ。でも「馴染んだ味じゃない」「やっぱり飛騨のお酒が一番うまい」って言って帰ってきてくれるんです。
日本酒の豆知識〜上撰・佳撰の違いとは?〜
日本酒には昔、特級・1級・2級などで酒を別ける級別制度がありました。審査に通ったのが1級で審査に”通してない”(通らなかったのではない)のが2級でした。しかし、徐々に1級のお酒を、あえて審査を通さず2級として廉価に販売する酒蔵が増え、日本酒における級別の意味が小さくなっていきました。平成4年、級別制度は廃止になりましたが、消費者や流通業者のイメージは当時のまま残っており、1級を「上撰」とし、2級を「佳撰」と定めました。現在、両者の差は大きくありませんが、中には「佳撰じゃなければ」という方もいらっしゃるそうです。
トークでは、古川という地域のくらしの中で繰り広げられる、お酒を介したやりとりについても語られました。一大行事「古川祭」では、各町で「献酒」が行われ、祭りを盛り上げる「起し太鼓」の当番へは1000本以上のお酒が集まります。また、お礼やお見舞い、ごあいさつなどにもお酒、という習慣も古川には根付いているそうです。
市長:そういう文化なので、どういうときも酒ですよね。
蒲さん:ちょっとしたお礼としてお金を包むんじゃなくて、5000円出したいときはお酒を2本持っていく。そのぐらいの貨幣価値の感覚で、持っていかれるところが多いみたいです。
市長:今、一升瓶がざっと2000円くらいですかね。ぼくらも、持っていくなら2升ですね。これが面白い仕組みになっていまして、祭りのときに1000本とか集まるでしょ。当然、飲めないんですよ。それでどうするかというと、お祭りが終わると町内の皆さんで買い取ってくれるんです。1200円くらいで。さらに余るので、その分は地元の旅館やホテルが買い取ります。すると、その町にお金が入ってくるでしょ。そのお金をどうするかっていうと、また飲みに行くんですね。お酒が通貨のように循環しているんですね。
一同:笑
蒲さん:飛騨ではさるぼぼコイン以上かもしれませんね(笑)。
蒲さん曰く、楽しく日本酒を飲むには「細く長く」が大切とのこと。冷酒はスイスイ飲みがちですが、注意が必要です。また、お酒の飲み方は様々で、お酒をよりまろやかにするため、少量の水で割ってみても良いそう。特に蒲酒造場のお酒は飛騨の自然が育んだ水で作っているため、同じく飛騨の水で割ると良いそうです。
蒲さん:お酒の飲み方ってひとつじゃなくて、いろんな飲み方で楽しめると思っています。そういうお思いで造ったのが、「ヨーグルト酒」です。コロナが学校給食に影響して、牧成舎の牛乳が打撃を受けていたところ、うちもリキュール分野の幅を広げたいと去年の暮れから考えていた中で、たまたまご縁があって実現しました。
市長:ヨーグルトでリキュールと聞いて、最初はびっくりした。
蒲さん:うちの社員が思い付いたんです。でも、酒蔵の中には、麹菌や酵母菌があります。そこへ乳酸菌が入るということは、蔵のなかでどういう風に仕分けするかが難しく悩みがありましたが、「とりあえずやってみましょう」ということではじまったんです。これも、ひとつの楽しみ方だと思っています。
イベント当日、蒲さんには「ヨーグルト酒」をお持ちいただき、参加者に振る舞っていただきました。すっきりとした甘さと程よく付いたとろみが、お酒として美味しいだけでなくデザートのような感覚でもあり、老若男女の人気を集めそうなお酒でした。
トークセッションの最後には、蒲さんに今後の展望を語っていただきました。
市長:これからまた、蒲さんのところのお酒の種類も、時代に合わせていかれるんですね。
蒲さん:そうですね。「革新があっての伝統」とよく言いますが本当にその通りで、300年やってきたことをただ続ければいいかといえば、そうではありません。時代は変わるので、飲み手さんに合わせながらも、迎合し過ぎず、飛騨の味としての芯を残したいです。ここの人たちは、ちょっとコクがあるのが好み。綺麗なお酒が流行ったときもありましたが、昔から古川のお酒を持ち込んでまで旅行していたおっちゃんたちに「これが流行りのお酒だよ」とは言えません。
地元にあって、地元の方に飲んでいただくのが地酒の醍醐味。東京からこちらに来て、ここならではのお酒を飲んで欲しい。飛騨のお酒が、飛騨のお料理によく合って美味しい、と思ってもらえるようにしたいです。地元の飲み手さんを大事にしつつ、少しずつ変化しながら伝統を残していきたいと思っています。
今回、生粋の古川人である市長と蒲さんのトークセッションで語られたエピソードは、古川の人たちの気質や、自然に恵まれた地域の特性をよく表すものでした。トークセッション後の交流会では、酒米農家のお話や、お酒の枠を飛び越えた地元トークも展開。飛騨地域の行政区分など市長ならではのお話でも盛り上がりました。
住んでいる地域のことは、知っているようで知らないものです。日頃よく通る道がある一方、そこから1本ずれた道には、普段は目にしない光景、人の営みがあります。古川町を知り尽くしていとも言えるお二人のトークは、そんな風に日常に潜んでいる新しい発見を探し歩いてみたいなと思わせるものでした。
語り「Bar」の次回開催は、10月を予定しています。ぜひ告知情報をチェックしてみてください!
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