Interview

2026.9.1

【にんげんのどだい】多様な実践者との対話からひもとくSEL(社会性と情動の学び)vol.1

フラミンゴからハグされることで学んだ「コミュニケーションのあり方」/綿貫竜史×伊藤遥

伊藤 遥 / Haruka Ito

FabCafe Nagoya コミュニティマネジャー、ディレクター

にんげんのどだい(人間の土台)とは?

SEL(Social and Emotional Learning /社会性と情動と学び)とライフキャリア教育を専門に探究するFabCafe Nagoya伊藤遥(こはる)と多様なフィールドで活動する実践者との対談を通して、これからのAI時代において大切な「にんげんのどだい(人間の土台)」とは何かを探究する連載マガジンです。

「フラミンゴが、自分からハグをしてくれるんです」

綿貫竜史さんがそう言いながら見せてくれた写真には、一羽のフラミンゴが、長い首を彼の肩へ預けるようにして立っていました。

フラミンゴと会話をする。しかも、最後には抱きしめてもらう。

それだけを聞けば、綿貫さんは何か特別な才能をもっていて、そういう方だけに限られたエピソードのように思えます。しかし綿貫さんがそこに至るまでの過程を語り始めると、話は文化人類学、異文化理解、感情と恐れ、そして人と人との関係性のお話へと広がっていきました。

「このフラミンゴは、コミュニケーションはきっと鏡なんだということを、僕に教えてくれたんです」

その言葉を聞いた時、学校や地域でSELの導入や実践を続けてきた私自身も、身を乗り出しました。「それ、人間同士でも、まったく同じことが起きています」。異なる領域を歩んできた二人の実践が、一羽のフラミンゴを間に置くことで、一本の線につながっていく。

相手を変えようとするとき、私たちの内側では何が起きているのか。
言葉になる前の感覚を、私たちはどこまで受け取れているのか。

バングラデシュ、フラミンゴ、学校、そして家庭。
対話から、SEL(Social and Emotional Learning /社会性と情動の学び)をひもといていきます。


話し手

伊藤 遥(写真左)

メーカーでの人事、高校でのキャリア教育・探究学習支援を経て、現在はFabCafe Nagoyaなどを拠点に、教育プロジェクトのコーディネートや対話の場づくりに取り組む。学校や地域で、教職員・保護者に向けたSEL研修や、子ども・若者の主体的な活動の伴走を行っている。

綿貫 竜史(写真右)

バングラデシュをフィールドに、路上で暮らす子どもやスラムに暮らす女性たちと関わり、文化人類学的な視点から貧困やエンパワーメントを研究。現在は、海外経験を持つ若者が、好きな国や地域と関わり続けられる仕事や学びの機会をつくるほか(Misekai)、五感や知覚を入り口にした教育プログラムを実践している。

 


野球を引いた自分には、何が残るのか

綿貫さんが初めてバングラデシュを訪れたのは、大学3年生のときだったそうです。

それまでの人生の中心にあったのは野球。小学校、中学校、高校、大学と、長い時間を野球に費やしてきた。ところが就職を意識した瞬間、これまで考えずに済んでいた問いが、突然目の前に現れたといいます。

綿貫「就職活動をする時期になって、ふと『綿貫竜司から野球を引いたら、ゼロになるんじゃないか』と思ったんです。それまで、ずっと野球しかしてこなかった。このまま普通に就職しても、人生が面白くなっていかないような気がしました。

それで大学の先生に、『海外へ行きたいので、どこか一つだけ国を紹介してください』とお願いたところ、こんなふうに言われました。『あなたはこれから世界と関わり続けると思う。だから、人生で最初に行く国は悲惨な場所に行きなさい』って。

そういって示された国が、インドとバングラデシュ。インドへ行って人生が変わったという人には会ったことがあった。でも、バングラデシュへ行って人生が変わった人には、会ったことがなかった。人と同じことをしたくない気持ちもあって、じゃあバングラデシュへ行こう、と決めました。

 

伊藤「そこで他の人がしない、したことがなさそうな選択を敢えてしようとするところが、人となりを感じますね(笑)」

 

綿貫「そうですね(笑)とはいえ、行き方は自分で探してねと言われて。知り合いから、以前青年海外協力隊に参加していた方を紹介してもらい、その人からまた別の人を紹介してもらって。最後には、二か月後にバングラデシュへ行く予定だった、石川県の大学のボランティアサークルにたどり着きました。

すぐに電話をして、『僕も連れていってください』と頼みました。今考えれば全然違う大学の知らない人間から突然電話が来るなんてかなり怪しいのですが、そのリーダーの方が『いいですよ』と即答してくれた。結果、空港で初めましてという状態で、僕のバングラデシュへの旅が始まったんです」

 

偶然のように見える出会いを、自分から一つずつつないでいく。綿貫さんの語りを聞きながら私は、その大胆さだけではなく、「自分のなかに生まれた違和感を放置しなかったこと」に注目しました。

 

伊藤「『このままでは、自分の人生が面白くならない』という感覚を、頭で打ち消さなかったんですね。

進路を考えるとき、多くの人は、就職先の条件や世間から見た安心を探します。でも綿貫さんは、その前に『野球を引いた自分には何が残るんだろう』という、自分の内側に生まれた問いを見ている。

私はこれまで、キャリア教育の現場で、若い人たちが、自分の感覚より先に外側の正解を選んでいく場面をたくさん見てきました。本人はベンチャー企業のような環境が合いそうなのに、大手企業へ行く。親や周囲が安心する道を選んだものの、数か月後には苦しくなって辞めてしまう。

もちろん、実際に行ってみたから分かることもあります。でも、もっと早い段階で『自分は何に反応しているのか』『何に心が動いているのか』を感じ取れる機会があれば、選択は変わっていたかもしれない。

自分の感情や価値観に気づく力として「自己認識力(セルフ・アウェアネス)」というものがあり、SELにおいても大切にしている力ですが、綿貫さんの場合、まだSELという言葉を知らなくても、自分のなかに起きていた微細な違和感を受け取って、行動につなげていた。それが最初の一歩だったように感じます」

 

初めてのバングラデシュ滞在を終え、帰国する日。
飛行機の窓から遠ざかる景色を眺めた瞬間、綿貫さんは、自分でも理由が分からないまま泣き始めたといいます。

綿貫「涙が止まらなくなったんです。なんで泣いているのか、本当に分からなかった。飛行機のなかでも、日本に着いて、実家に帰るまで、ずっと泣いていました。言葉では説明できないけれど、細胞が震えているような感覚だったんです。これは、この感情を置き去りにしたまま就職したら、絶対に後悔すると思いました。

だから、バングラデシュのことを一番深く知ることができる大学院に行こう、と決めました。後から考えれば、論理的な判断ではないですよね。就職に有利とか、将来安定するとかではない。ただ、自分の身体が強く反応した。その反応を、このままなかったことにしてはいけないと思ったんです。

僕は今でも、いろいろな刺激に触れたときに、自分のなかから出てくる言葉を聞くことが学びだと思っています。先に知識を組み立てて答えを出すのではなく、何かに触れたことで浮かんできた直感や感覚を、どう言葉にしていくか。その原点は、このときの体験にあったのかもしれません」

言葉になる前に、身体は何かを知っている。この感覚は、後に綿貫さんが取り組む「五感を言語化する教育」へとつながっていきます。


言葉が通じないからこそ、声の震えが聞こえた

大学院へ進んだ綿貫さんは、バングラデシュで路上生活をする子どもたちの教育や、スラムに暮らす女性たちのエンパワーメントに関わるようになったそうです。

現地で生活し始めた頃は、ベンガル語を十分に話すことができなかった綿貫さん。通常であれば、それはコミュニケーションの障壁になります。しかし綿貫さんは、その制限が、別の感覚をひらいたと振り返ります。


綿貫
「バングラデシュへ行った頃は、ベンガル語が話せませんでした。でも、話せないことが、むしろ良い作用をしたんです。

言葉の意味が理解できないから、人の声の震えや抑揚、話す速さ、間を感じ取ろうとする。何を言っているかは正確には分からなくても、『いま、この人は大切なことを話している』『これは建前として話しているのかもしれない』と、音からイメージするようになりました。

僕は小さい頃から、人の言葉を聞いていると、その言葉にまとっている音が変わる瞬間を感じることがありました。言葉そのものと、そこに乗っている感覚が、同時に入ってくるんです。ベンガル語が分からない環境に置かれたことで、それまで無意識に使っていた感覚を、意識的に使うようになったのだと思います。人間がコミュニケーションで当たり前に使っている何かが遮断されたとき、普段は眠っている別の知覚が働き始める。そう考えるようになりました。

もしそれが本当なら、人間の言葉を話さない動物とのコミュニケーションにも応用できるはずです。そこで、動物と継続的に関わって、自分の感覚がどこまで働くのかを確かめてみようと思いました」

伊藤「私たちは、言葉を使えることで、かえって言葉だけを信じすぎているのかもしれません。
学校でも、子どもに『いまどんな気持ち?』と聞くことがあります。でも、すぐに『悲しい』『怒っている』『うれしい』という言葉を答えさせると、正しい感情語を当てたり、当てはめたりする作業のようになってしまうことがある。

本当はその手前に、胸が詰まっているとか、身体が熱いとか、逃げたい感じがするとか、誰かに気づいてほしいとか、まだ名前のついていない感覚がある。

でも私たちは、早く理解や分析をしたいから、ついついすぐにラベルをつけてしまう。『私は悲しいんだ』とラベルを貼ることで、つい分かったような気持ちになる。けれど、その言葉によって、もっと深いところにある感覚を味わいきらずに終わってしまうことがあるように思うんです。

綿貫さんが、声の意味ではなく、震えや抑揚、身体の変化に耳を澄ませていたという話は、自己認識や他者理解のもっと手前にある、『まず知覚する』という営みなんだと思います。理解や評価よりも前に、いま何かが起きていると気づく。その力が、今とても弱くなっている気がします」

 

綿貫「まさに、僕はそれを知覚力と呼んでいます。
外側にあるものを見たとき、自分が何に注目して、どう意味をつくったのか。そのプロセスを自覚する力です。外側の情報を丁寧に知覚することができれば、その力を内側に向けて、自分の感情や身体の状態を知覚することにもつながる。僕にとっては、バングラデシュで言葉が使えなかったことが、その入り口になりました」

言葉が話せない動物(フラミンゴ)との会話は、観察から始まった

その「知覚力」が高まった例として、綿貫さんが継続的に関わることになった一羽のフラミンゴとのエピソードが例に上がりました。
そのフラミンゴは、過去に人間から暴力を受け、保護された個体でした。人への警戒心が強く、近づけば攻撃しようとする。人間の言葉で問いかけても、言葉による答えは返ってこない。綿貫さんは、そのフラミンゴの状態を、五感を使って受け取ろうとしたそうです。

綿貫「最初は、全然コミュニケーションが取れませんでした。人への怖さがあるので、近づけば攻撃しようとする。

でも言葉が話せない分、こちらも別の情報を見るしかありません。フラミンゴは首をキュッキュッと振るんですけど、その速さが変わる。脂っぽくコーティングされていた羽が、ふわっとする瞬間がある。僕には、状態によって匂いが変わるようにも感じられました。

もちろん、『この動きは必ずこの感情を意味する』と科学的に言いたいわけではありません。一羽のフラミンゴと何度も関わるなかで、いつもと違う小さな変化を集めて、いま相手がどのような状態にあるのかを考えていったんです。

相手の状態を五感から受け取り、その状態にフィットするように自分の姿勢や距離を変えていく。そうすると、少しずつコミュニケーションが成り立つようになりました。

大事なのは、相手を自分の思いどおりに動かすことではない。他人と結果はコントロールできない。だとしたら、自分やプロセスに、どこまで目を向けられるか。僕はそれをすごく大切にしてきたのだと思います」

伊藤「今の話を聞いていると、相手を観察しているようで、同時に自分も観察しているんですよね。

相手がどんな状態なのかを知るだけではなくて、その相手を前にした自分の身体がどうなっているのか。怖がっているのか、力が入っているのか、相手を動かしたいと思っているのか。

私がSELの講座をするとき、必ず自己認識と自己調整を分けて説明します。つい学校現場や企業研修ででは、「どう対処するか?」という自己調整の話ばかりになりがちです。でも、調整の前には必ず認識が必要です。『いま私は怖い』『身体が硬くなっている』『相手を黙らせたいと思っている』と気づかないまま、自分を整えることはできません。

自己調整というと、怒らないこと、我慢すること、いつも平静でいることだと誤解されます。でもそうではなくて、まず自分に起きていることを知る。そのうえで、反応をそのまま相手に返すのか、別の関わり方を選ぶのかを決める。

フラミンゴとの関係のなかで、綿貫さんは、それを身体で実践していたのだと思います」

綿貫さんが恐怖を感じて身体を硬くすると、フラミンゴもまた強い反応を返ししたと言います。一方で、自分の恐れに気づき、落ち着きを保つことができると、相手の反応にも変化が現れたといいます。

綿貫「この子は、人間から暴力を受けてレスキューされた子なので、人への拒否反応と怖さを持っていました。攻撃しようとしてくるときに、僕も怖いと思って、同じように身体を緊張させると、同じボリュームで攻撃してくるんです。

でも、その状態になったときに、僕が平常心を保てると、噛んでくる力が弱くなる。強く噛むのではなく、なめるくらいになる。

その子は、まず尻尾を僕の身体にそっと寄せて、僕がどう反応するかを見ているようでした。そこで、こちらが慌てたり、捕まえようとしたりしないと分かると、少しずつ触らせてくれるようになる。

最後には、僕が膝をついて右肩のスペースを開けると、トントンと歩いてきて、首を肩に預けてくれるようになりました。

この子は、コミュニケーションはきっと鏡なんだということを、僕に教えてくれたんです。僕が恐れを返せば、相手も恐れを返す。僕が相手をコントロールしようとすれば、その緊張も伝わる。逆に、相手の状態を受け止め、自分が落ち着いていれば、相手にも選ぶ余白が生まれるんです」


人間同士でも起きる「恐れの反応合戦」

伊藤「人間同士でも、まったく同じことが起きていると思います。私はそれを『恐れの反応合戦』と呼んでいます。

自分のなかに、『傷つきたくない』『相手は自分を脅かす存在かもしれない』という恐れがあると、起きている事実以上に、『相手が攻撃してきた』と意味づけてしまうことがあります。

たとえば、相手の返事が少し冷たかった。ただそれだけの事実に対して、『私を否定している』『バカにしている』と受け取る。攻撃されたと感じるから、自分を守るために強い言葉を返す。

すると、その言葉を受け取った相手もまた、自分を守るために強く反応する。表面では怒りのぶつかり合いに見えます。でも、その奥では、お互いがただ自分を守ろうとしているだけなのかもしれません。

これは、小学校1年生の教室でも、職員室でも、企業の組織でも、家庭でも起きています。

日本人は、空気を読んだり、相手の変化を察知したりする力は高いと思います。でも、その力を恐れをベースに使うと、『怒らせないようにしなければ』『嫌われないようにしなければ』と、自分を押し殺す方向に向かってしまう。

相手を見る力があっても、自分を見る力がなければ、その感覚は自分を苦しめます。だから、察知する力を、相手に合わせて自分を消すために使うのではなく、まず自分に『大丈夫だよ』と言うために使う。自分を少し凪の状態へ戻すことができれば、反応合戦は起きにくくなると思うんです」

綿貫「僕も、人がストレスを感じる瞬間について、ずっと考えてきました。自分なりに見えてきたのは、人は相手をコントロールしようとして、その人が思いどおりに動かなかったときに、強いストレスを感じるということです。

上司が部下にイライラする。親が子どもにイライラする。友人やパートナーに、『普通はこうするでしょう』と思ってしまう。

そこには、相手が自分の期待どおりに動くはずだという前提があります。でも、他人はコントロールできない。そこに本当に気づいたとき、僕はすごく楽になりました。

だからといって、相手に何も求めないとか、すべてを受け入れるという話ではありません。相手を無理に変えようとするのではなく、『相手がいまこういう状態なら、自分はどんな状態で関わればよいだろう』と、自分の側へ意識を戻すということです。

フラミンゴが攻撃的になっているときに、その子を責めても仕方がない。その背景には、人から暴力を受けた経験がある。だから、まず相手の状態を知る。そして、自分の恐れや期待にも気づく。

この両方を見ることが、僕にとってのコミュニケーションなんだと思います」

 

「相手を変える」のではなく、「相手の状態を見ながら、自分の関わり方を選ぶ」。
ただし、それは、自分の気持ちを抑えたり、相手の要求に従ったりすることではない。

 

伊藤「昨夜、私が息子にイライラしたのも、まさにその構造でした。脱いだ服をそのままにしていて、何度言っても片づけない。私は、『片づけてほしい』と思っているだけのつもりでした。でも実際には、『私が言ったタイミングで、私の思ったとおりに動いてほしい』という気持ちもあった。それが叶わないから、イライラしていたんです。

もちろん、共同生活のなかで希望と伝えることは必要です。お願いをしたり、ルールを決めたりすることもできます。でも、『片づけてほしい』という願いと、『私の思いどおりに動いてほしい』は、同じではありません。

その違いに気づくと、自分の怒りの奥にあるものが少し見えてきます。何度言っても伝わらないことが悲しい。自分ばかりが負担している気がする。少しは協力してほしい。

自分がなぜこんなに反応したのかを見ることは、自分を責めるためではありません。自分を知るための材料にするためです。

私自身ふだんからSELを取り扱っているからといって、毎回うまくできているわけではありません。日々、感情に振り回されています。でも、『いま私は、相手を動かそうとしている』『いま私は怖いんだ』と気づくだけで、感情と行動の間に、少し余白が生まれる。

その余白のなかで、次に何を言うか、どう関わるかを選び直す。それが、SELにおける自己調整なのだと思います」


外側を知覚する力を、自分の内側へ向ける

綿貫さんは現在、学校や大学などで、五感や知覚をテーマにしたプログラムを実践しています。
そのうちの一つに、普段のコミュニケーションで最も頼っている視覚をあえて遮り、匂いや音に注意を向ける「くらやみ対話」があります。

綿貫「視覚を遮断すると、残っている感覚が敏感になります。たとえば、バングラデシュのスパイスの匂いを嗅いでもらい、同じ匂いを嗅いでいる人を、言葉だけで表現し合いながら探していくんです。

ほかにも、抽象画を見て、それがどんなキャラクターに見えるかを考えてもらうことがあります。青と黄色が混ざっているからアラジンだと思った人もいれば、黄色い部分が長い髪に見えたからラプンツェルだと思った人もいる。

そのときに大事なのは、正解を当てることではありません。自分が何に注目し、どんなプロセスで意味をつくったのかを、言葉にすることです。

音を使う場合は、マッチ箱にビーズを入れて、振った音だけで合計15本になる組み合わせを探してもらうこともあります。二つの音で15だと感じる人もいれば、三つ、四つを選ぶ人もいる。

同じ刺激に触れても、受け取り方は違う。その違いを比べることで、自分が世界をどのように見ているのかが分かってきます。

これは外側にある情報を知覚する練習ですが、その方向を自分の内側に向ければ、感情を知覚する力につながります。僕にとって、外側と内側の知覚はつながっているんです」

伊藤「私も、いきなり『いまどんな気持ちですか』と聞くのではなく、画用紙をたくさん用意して、『今の気持ちに近い色を選んでください』と伝えることがあります。「今の気持ち展」という名前でやっているのですが、感情をいきなり言葉にするのではなく、色や形といった抽象的なものを経由して表現するワークです。

今の感覚に合わせて、紙を切ったり、折ったり、丸めたり、立体にしたり。細く切る人もいれば、大きく破る人もいる。タワーのように立てる人もいます。

言葉ではうまく説明できなくても、色や形なら、なんとなくの曖昧さを残したまま、感じたままを表現することができます。

そして、完成したものを互いに見ながら、『私はこう感じた』『あなたはそう感じているんだね』と話す。同じ場所に一緒にいても、感じているものは全然違う。それを体験できます。

大事なのは、そこに正解や不正解を持ち込まないことです。『その色は怒りではない』『そんなことで悲しむのはおかしい』と評価しない。

感情は、誰かから『そんなことを感じてはだめ』と言われる前から、すでにそこにあります。だから最初に必要なのは、正しく説明することではなく、『あるんだね』と受け止めることだと思っています。

綿貫さんが外側の音や匂い、色を丁寧に知覚する練習をしているのと、私が内側の感情を色や形にする実践は、入り口は違っても、同じ場所を目指しているように感じます」

 

綿貫「本当に近いと思います。気持ちや感情のような、目に見えないものを、どんな仕掛けで見えるようにするか。そして、その人が何を感じたのかを、他人が決めるのではなく、本人が自分の言葉で見つけていく。

僕は、教育とは、刺激に触れたときに自分のなかから出てきた言葉を、自分の耳で聞くことだと思っています。誰かから正解を教えられるのではなく、自分が口にした言葉に、自分自身が気づく。

だから対話も、相手から答えを取り出す技術ではないと思うんです。相手がまだ言葉にできていないものが、対話のなかで自然に形になっていく。そのためには、聞く側も、自分の感覚を差し出す必要があります


感情を出せるかどうかは、個人の能力だけではない

自分の感情に気づく力があっても、それを安心して表現できるとは限りません。

感情を口にしたときに否定されたり、評価されたりする環境では、人は自分の状態を隠すようになります。

伊藤「SELの研修をすると、感情を言葉にすることを個人のスキルとして捉えられることがあります。でも、出せるかどうかは、その人の能力だけの問題ではありません。

『つらいと言ったら、弱い人だと思われる』『不安だと言ったら、仕事ができないと評価される』『怒っていると言ったら、面倒な人だと思われる』。

そういう場では、いくら感情の言葉を教えても、本音は出せません。

必要なのは、『あなたはそう感じているんだね』と、評価せずに受け止めてもらえる土壌です。

私は先生や親、社会人向けの研修で、子どもや社員にSELを教える前に、まず職員室や社内、家庭で先生や親、上司・経営者自身が感情を受容できるようになることが大事だと話します。

『今日は少し不安です』『あの対応で疲れています』『うまくできなくて悔しいです』と口にできる。それを、解決しようとしたり、『もっと頑張らなきゃ』と励ましたりする前に、ただ受け止めてもらえる。

先生や大人自身がその安心を経験できれば、子どもや部下が感情を出したときにも、すぐにジャッジせず、フラットに接しやすくなります。

問題を起こす人や、難しいと言われる子どもを『悪い種』として見るのではなく、その種がどんな土壌で育っているのかを見る。本人のなかに何が足りないかではなく、どんな関係性や環境のなかで、その反応が生まれているのかを見る。

私にとってSELは、個人の能力を高めるだけの教育ではなく、その人が安心して自分を表現できる土壌をつくることまで含んでいます」

 

綿貫「それは、僕がバングラデシュで貧困やエンパワーメントを考えてきたこととも、すごくつながります。

国際協力では、持っていないもの、足りないものを見つけて、それを外から与えるという発想になりやすい。食料をどれだけ提供した、学校をいくつ建てた、というように。

でも僕は、そこにあるものを見ずに、不足だけを見る支援に疑問を持っていました。

スラムで一日100円ほどで生活している人たちが、自分たちの食事を分けて僕を家に招いてくれる。社会的には貧しいと分類される人たちのなかに、豊かさや、人を受け入れる力がすでにある。

女性のエンパワーメントを研究したときも、外から力を与えるのではなく、その人のなかにある力が、どうすれば社会のなかで発揮されるのかを考えていました。

種が悪いのではなく、土壌を見るという伊藤さんの言葉は、まさに同じだと思います。

人が何かを発揮できないとき、本人に能力がないと判断するのではなく、その力が出てこられない環境や関係性に目を向ける。SELもエンパワーメントも、根底には、『その人にはすでに何かがある』という人間観があるのかもしれません」

 

個人を変える前に、関係性を見る。
不足を埋める前に、すでにあるものを見る。

異なる領域で活動してきた私たちが大切にしているものは、ここでも重なっているように思いました。


コミュニケーションという鏡に映るもの

対話の終盤、二人の話は、再びフラミンゴとの関係へ戻りました。

綿貫「人は、相手をコントロールしようとして、思いどおりにいかなかったときにストレスを感じる。

でも、他者や結果はコントロールできない。そこで意識を自分に戻して、『相手がこういう状態なら、自分はどのような状態でいればよいだろう』と考える。それは、相手に合わせて自分をなくすことではありません。自分の状態を、自分で選ぶということです。

フラミンゴが攻撃してきたとき、僕も恐れを返すのか。自分の恐れに気づきながら、落ち着いたまま相手に選択の余白を渡すのか。

僕がフラミンゴから学んだのは、コミュニケーションでは、自分の状態も常に相手へ伝わっているということでした。

相手を見ているようで、自分自身も見られている。だから、コミュニケーションは鏡なんです」


伊藤
「SELも、同じ場所を目指していると思います。
感情をなくすのではなく、自分のなかで何が起きているかに気づく。そのうえで、自分はどう関わりたいのかを選ぶ。
相手が怒っているから、こちらも怒りで返すのか。相手が不安だから、その不安に巻き込まれるのか。あるいは、自分の恐れに気づきながら、別の関わり方を選ぶのか。

ただし、自分を整えることを、『何をされても穏やかに受け止めること』にはしたくありません。暴力や理不尽な扱いに対しては、境界線を引く必要があります。構造的な問題まで、個人の心の持ち方に回収してはいけない。

そのうえで、相手を変えることだけに自分の力を使うのではなく、自分の感情や願いを知り、自分が選べる部分へ戻ってくる。

SELは、学校で教える特別な技法ではありません。
言葉が通じない人の声の震えに耳を澄ませること。動物の小さな変化を観察すること。自分の身体に生まれた緊張や恐れに気づくこと。相手を変えたいと思っている自分を発見すること。

そして、反応する前に、自分はどうありたいのかを選び直すこと。

綿貫さんのお話を聞きながら、SELは、私たちが人とともに生きるために、さまざまな場所ですでに営まれているものなのだと、あらためて感じました」

 


文化人類学者とSELの実践者。

異なる領域を歩いてきた私たちの対話は、一羽のフラミンゴを入り口に、「自分と他者をどう知覚するか」という共通の問いへたどり着きました。

コミュニケーションは鏡である。
そこに映っているのは、目の前の相手だけではない。
相手を見る自分の恐れや期待、願いもまた、映し出されている。

そう気づいた時、世界はまた違った見え方を見せてくれるように思います。


対談後記 伊藤遥

綿貫さんから「フラミンゴと会話をしていた」という話を聞いたとき、最初は、その言葉の面白さに惹かれました。
けれど、話を聞けば聞くほど、それは単に珍しい体験の話ではありませんでした。

言葉が通じない相手に対して、すぐに理解したつもりにならず、首の動きや羽、匂い、距離、そして自分の身体の反応までを丁寧に観察する。
相手を思いどおりに動かそうとするのではなく、相手が今どのような状態なのかを知ろうとしながら、自分の状態を見つめる。

それは、私がふだんSELを通して伝えていることと、驚くほど重なっていました。

私たちは、相手の態度や言葉によって、自分の感情が生まれたと考えがちです。

「あの人があんな言い方をしたから、私は怒った」
「子どもが言うことを聞かないから、私はイライラした」

もちろん、相手の行動によって傷つくことはあります。暴力や理不尽な扱いに対して、境界線を引くことも必要です。

だから、「すべて自分次第」と言って、被害や構造的な問題を、個人の心の持ちように回収したいわけではありません。
それでも、自分のなかに生まれた感情を、相手を攻撃するための材料ではなく、自分を知るための手がかりとして扱うことはできます。

私はなぜ、これほど反応したのだろう。
何が怖かったのだろう。
本当は、何を大切にしたかったのだろう。

その問いを持てたとき、相手を変える以外の選択肢が、ほんの少しだけ見えてくることがあります。

綿貫さんの言葉を借りるなら、「コミュニケーションは鏡」です。
目の前の相手を見ているつもりで、私たちは、自分自身の恐れや期待、願いを見ていることがあります。

だからこそ、相手を変えたくなったときに、一度だけ自分の内側へ視線を戻してみる。


「いま、私には何が起きているだろう」

その小さな気づきから、SELは始まるのだと思います。


  • FabCafe Nagoya

    ものづくりカフェ&クリエイティブコミュニティ

    デジタルファブリケーションマシンと制作スペースを常設した、グローバルに展開するカフェ&クリエイティブコミュニティ。
    カフェという”共創の場”でのオープンコラボレーションを通じて、東海エリアで活動するクリエイター、エンジニア、研究者、企業、自治体、教育機関のみなさまとともに、社会課題の解決を目指すプロジェクトや、手を動かし楽しみながら実践するクリエイティブ・プログラムなどを実施。
    店頭では、農場、生産者、品種や精製方法などの単位で一銘柄とした『シングルオリジン』などスペシャリティコーヒーをご提供。こだわり抜いたメニューをお楽しみいただけます。

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  • 伊藤 遥 / Haruka Ito

    FabCafe Nagoya コミュニティマネジャー、ディレクター

    大学卒業後、ReFaやSIXPADで知られる株式会社MTGで新卒採用・組織開発を担当。多くの学生との出会いを通して「早期に多様な大人・経験に触れる必要性」を感じ、2020年より約5年間、名古屋市キャリア・サポート事業に参画。高校に常駐するキャリアコンサルタントとして、外部人材を活かした探究プログラムの開発・運営や、課外活動の伴走を行う。現在はFabCafe Nagoya、東海国立大学機構CommonNexus(ComoNe)のコミュニティマネジャーとして人・場・経験をつなぎ、子どもから大人までの好奇心を起点とした探究活動支援や、産学官をまたいだコミュニティ作りを行う。また、小中高校へのSEL(Social Emotional Learning /社会性と情動の学び)導入支援、SELを元にしたキャリア教育支援にも取り組む。国家資格キャリアコンサルタント、キャリア教育コーディネーター、SELアドバイザー。愛知教育大学非常勤講師。1児の母。

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Author

  • 伊藤 遥 / Haruka Ito

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    大学卒業後、ReFaやSIXPADで知られる株式会社MTGで新卒採用・組織開発を担当。多くの学生との出会いを通して「早期に多様な大人・経験に触れる必要性」を感じ、2020年より約5年間、名古屋市キャリア・サポート事業に参画。高校に常駐するキャリアコンサルタントとして、外部人材を活かした探究プログラムの開発・運営や、課外活動の伴走を行う。現在はFabCafe Nagoya、東海国立大学機構CommonNexus(ComoNe)のコミュニティマネジャーとして人・場・経験をつなぎ、子どもから大人までの好奇心を起点とした探究活動支援や、産学官をまたいだコミュニティ作りを行う。また、小中高校へのSEL(Social Emotional Learning /社会性と情動の学び)導入支援、SELを元にしたキャリア教育支援にも取り組む。国家資格キャリアコンサルタント、キャリア教育コーディネーター、SELアドバイザー。愛知教育大学非常勤講師。1児の母。

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