Event report

2025.1.29

Event Report : Fab Meetup Kyoto Vol.70 シルクスクリーン特集「粒子と定着のそのあいだ」(前編)

2024年6月、FabCafe Kyotoに「デジタルスクリーン製版機」が導入されました。レーザーカッターやデジタル刺繍ミシンといったツールと同様に、誰でもセルフサービスで使うことができます。サービス開始から半年が経ち、個人制作や展示備品の作成など、幅広いシーンで日々利用されています。


「製版機」は、その名の通り、スクリーン印刷のための「版」を作る機械のことを指します。スクリーン印刷とは孔版印刷の一種であり、微細な網目状のスクリーンに孔を開けて、そこからインクを押し出し、紙や布などのメディアに擦り付ける印刷技法です。スクリーン印刷の経験がない方でも「光を取り込む」「素材に染料を定着させる」といった特徴を持つ写真撮影や印刷は日常的に行っていることと思いますが、それらと似ている手法によって元来スクリーン印刷も成り立っています。

FabCafe Kyotoでは、2024年2月にUVプリンターがサービス終了となり、入れ代わる形で「デジタルスクリーン製版機」が新たに加わりました。インクを素材に定着させる印刷機という点ではUVプリンターと似ているようですが、スクリーン印刷は「水と空気以外であればほぼすべてのものに印刷が可能」と言われています。

2024年7月末にFabCafe Kyotoで開催されたFab Meetup Kyoto Vol.70は、“シルクスクリーン特集”ということで、製版機や染料、そしてフィルムを製造・販売しているメーカーの方、イメージの定着方法や印刷技術を多角的に見つめて制作を続けるアーティスト、写真家の方々をゲストにお招きしました。当日は、京都の染料・製版機メーカーの方と、光や染料によって生まれる事象を追求する方々のトークイベントが行われました。表現としての「写し取る」行為を導入に、痕跡として版画を捉えることや、光と色素と支持体の関係性など、シルクスクリーン印刷から派生する「つくる行為」を多種多様な角度から捉え直す機会となり、参加者同士で新たな解釈を共有する時間となりました。

イベント概要

Fab Meetup Kyoto Vol.70 「粒子と定着のそのあいだ」

・日時 : 2024年7月31日(木) 19:00-21:00
・会場 : FabCafe  Kyoto(京都府京都市下京区本塩竈町554)
・ゲスト(*五十音順) : 上田 佳奈 氏(アーティスト)、津田 祐果 氏(UMA/design farm)、堀井 ヒロツグ 氏(写真家)、森内 孝一 氏(株式会社竹田事務機 企画開発室)、山本 博基 氏(株式会社色素オオタ・オータス 製造部)、山元 宏泰 氏(山元染工場)
・主催 : FabCafe Kyoto

▼ イベントページ
https://fabcafe.com/jp/events/kyoto/240731_fmk70

Fab Meetup Kyotoとは

毎月開催の「Fab Meetup Kyoto」は、業種や専門領域、世代を問わず、多種多様なバックグラウンドの人たちが集まり、ドリンクやフードを片手にアイデアやプロジェクトをシェアするミートアップイベントです。毎回さまざまなゲストが「つくる」にまつわるショートプレゼンテーションを行います。MTRL KYOTO / FabCafe Kyotoのオープン以降、レギュラーイベントとして開催され、多様なバックグラウンドを持つ方が集まり、業界の垣根を超えたコミュニティが築かれています。

  • ものづくり ・・・・・・・・ プロダクトデザイン、工芸、建築、素材
  • デジタル ・・・・・・・・・ IoT、Web3、NFT、AI、ジェネレーティブデザイン
  • バイオ/サイエンス ・・・・ 生物・自然科学
  • ソーシャル/コミュニティ・・ 公共デザイン・サービス、人文科学、社会科学など

プリンター感覚で製版できる、デジタル製版とは?

本イベントを企画したFabCafe Kyotoの山月による挨拶の後、登壇者のご紹介が続き、Fab Meetup Kyoto Vol.70「粒子と定着のそのあいだ」が始まりました。

 

山月:デジタル製版機の導入とサービス開始を記念し、シルクスクリーンについてよく知っている方も再発見できる場が作れたらと思い、こちらのイベントを開催する運びとなりました。デジタルスクリーン製版機のメーカーさんをはじめ、アーティストの方や写真家の方、印刷に携わるグラフィックデザイナーの方から、原初のシルクスクリーンといえる型染めの職人さん、シルクスクリーンを専門領域とされる方から、印刷やイメージの定着という領域で幅広く活動されている方など、スクリーン印刷との距離や向き合い方は、本日登壇いただく方によりさまざまです。ジャンルという横軸や、歴史といった縦軸を横断しながら、イメージを色素や光の粒子に分解して、再度何かに定着させるというプロセスにどんな意味を見いだせるのか。刷る、定着させる行為の豊かさについて、考える時間にできたら嬉しく思います。

山月:それでは最初のご登壇者、株式会社色素オオタ・オータスの山本さんにお話いただきたいと思います。山本さんは、FabCafe Kyotoにデジタルスクリーン製版機を導入するにあたって、主にテクニカル面でのサポートをいただきました

山本:こんばんは。株式会社色素オオタ・オータスの山本と申します。よろしくお願いします。


山本:
「シルクスクリーン印刷をもっと便利に、もっと快適に」ということで、まずは私の自己紹介から。京都市出身、追手門学院大学心理学部心理学科卒業ということで、まったくシルクスクリーンには触れることなく「色素オオタ・オータス」に入社しまして、そこではじめてシルクスクリーンというものを知りました。もしかしたら、みなさんよりも歴が浅いかもしれません。

山本:さきほど山月さんからもご紹介いただいた通り、シルクスクリーンとは、アルミ枠や木枠にスクリーンメッシュ生地を貼り付けて「デザイン版」を作成し、版の上にインクを乗せて、それをヘラで伸ばして色をつける「版画」に近い印刷方法です。言葉にするとなんのこっちゃって感じですが、こちらのスライドを見ていただけるとイメージしやすいかなと。

山本:主にTシャツが一般的だと思います。ほかにはテレビのリモコンの数字であったり、工業的な例で言うと、精密機器の内部基盤ですね。はんだ付けを行うための図面があるんですけど、そういったものを基盤に印刷する時にもシルクスクリーンは使われていて、みなさんの生活の中にかなり根付いた印刷方法ではあるものの、認知度は低いのかなと思っています。


山本:
シルクスクリーン印刷のメリット、デメリットにどんなものがあるのかというと、メリットとして「色褪せや洗濯耐性が高い」、つまり印刷としての耐久力が高いという形でさまざまな印刷に使われています。もう1つのメリットは「さまざまな素材に印刷が可能」。シルクスクリーン印刷はインクを変えることで「水と空気以外のどんな素材にも印刷できる」
と言われるくらい多種多様に対応できます。でも、素材に適したインクを選ばないと全然くっつかないこともあるので、そこが難しいところであり、一方でいろいろな可能性もあるのかなと思っています。

山本:インクの種類も豊富ですね。金、銀、ラメ、蛍光カラーなど幅広く選べることもメリットに付随すると思います。最近はユニクロさんが「ガーメント印刷」と呼ばれるフルカラー対応の印刷サービスを始められて、これは非常に身近でみなさんが使いやすい良い印刷だと思います。でも、フルカラー対応というのはシルクスクリーンのデメリットでもある部分なので、良し悪しあると思うのですが、インクジェットだとやはり金、銀、ラメができないというのが現状になっているので、そういった部分でかなり棲み分けが行われているのかなと。

山本:そしてシルクスクリーン印刷のデメリットは「版を作るのがそもそも難しい」こと。1色あたりに版代が発生するので、刷る版代がそれぞれ基本料金に乗っかってくる形になります。インクを膜として張り付けたり印刷する形になるので、耐久力はあるのですが、劣化すると割れる可能性もあります。それがデメリットにもなっています。

山本:従来のシルクスクリーン製版はどういうものかというと、「乳剤製版」と呼ばれる方法です。「版下データを作る」「ポジフィルムを作成」「枠にしゃりする」「乳剤を塗布」「乳剤を乾燥させる」「露光して乳剤を洗い落として版を乾燥させて、ピンホール処理で製版完了」と、言葉だけではややこしいのですが、それぞれに対して専用機械や職人さんの技術が必要です。それがすべて流れ作業で行われても約3時間かかってしまうというのが、これまで一般的に使われていた製版方法になります。

山本:そして今回、FabCafe Kyotoに導入いただいたデジタル製版機の工程ですが、まず版下データを作成します。これは乳剤製版と共通する部分ですね。そして紗張り。これも一応共通なんですけれど、弊社の場合は「リフィットフィルム」と呼ばれる専用のフィルムを作成しておりまして、このフィルムを張って保存することができます。


山本:
これには非常にメリットがあって、一般的な乳剤製版の工程を知っておられる方であればイメージしやすいと思いますが、露光という部分、要は乳剤と呼ばれる「光を当てることによって固まる性質のある薬品」を塗布して、「ポジフィルム」と呼ばれる透明のフィルムに黒い印刷をするんですね。乳剤と重ねることによって光を当てた時に、ポジフィルムの黒い部分は光が通らない。それ以外の部分は光が当たって固まって、ポジフィルムを剥がして乳剤を洗い落とすと、ポジフィルムの部分が洗い流されて版になります。でもそうすると、塗った後に乳剤を管理するために暗室が必要になるんです。写真の現像をするような非常に特殊な部屋なんですが、一般的にご用意するのは現実的ではなくて、ちょっと光が入ってしまったらそこだけ固まってしまうんです。だから、自宅だったり個人で用意できるのかというとなかなか難しい。そういった部分を弊社では、「しゃり」といってリフィットフィルムを張る形で対応しています。

山本:リフィットフィルムは、しゃ(製版に用いられる、ナイロン・ポリエステル・ステンレスなどの素材が網目上に織られたもの)と感熱性のフィルムを貼り合わせたものになっていて、感熱性のフィルムをデジタル製版機によって熱をかけ孔を開けることで製版しています。部屋で保管していた版をそのまま製版機にセットして、データを送るだけでプリンター感覚で製版ができるということですね。「紗張り済み枠」を事前に準備することで、実際の製版工程ではデータを送ってから機械自体が動いている時間は約2分、製版完了まで大幅な時間短縮となりました。

山本:孔が開いているところにインクを落とす性質上、インクが詰まって出なくなるという現象が起こり得るのですが、これも専用のクリーナーでフィルムを拭き取っていただくことで軽減され、合計10分ほどで製版が完了となります。本日機械をご用意いただいたので、実際に動かしてみたいと思います。製版にはK100の真っ黒なデータを用意していただきます。基本的にはPDF形式のデータを専用のソフトを経由して製版機に送っていただくだけです。今回はFabCafe Kyotoさんのロゴを印刷します。

今回のイベントの主役でもあるデジタル製版機。今日に限ってはいつもの工作スペースを抜け出て、大勢の人に見守られながら製版が行われました。高速デジタル製版の名の通り、機械が動いている時間は極めて短く、瞬く間に製版は完了します。


 

山本:この程度のサイズであれば約30秒で製版が完了しました。こういう形で、フィルムに孔を開けるだけで製版が完了する。あとは、刷り台に版をセットすることですぐに印刷できます。変な話、製版はほとんど機械がやってしまうので、データだけ作らないといけない。でもデータを作ることさえできれば、この機械としてはほとんど使いこなせている。

山本:誰でも簡単に製版できる機械ということで6月から設置していただきました。もし機会があればご利用いただければと思います。

山月:はじめてFabCafe Kyotoでデモンストレーションしていただいた時のメンバー全員の感動を覚えているので、こうしてサービスが始まって嬉しく思っています。製版工程が便利になっても、プリントは自分の手で行う必要があるので、難しさとおもしろさが共存しているのがデジタルスクリーン印刷の良さだと思います。機材講習会は毎週開講しているので、ぜひお越しいただけると嬉しく思います。


痕跡や現象を視覚化する

山月:続いて、アーティストの上田佳奈さんにご登壇いただきます。

山月:上田さんはシルクスクリーン印刷やサイアノタイプ(2種類の薬剤と太陽光・紫外線を用いる写真技法)を用いて作家活動をされながら、その主軸は版表現に置かれています。ご自身で見ている風景や景色を色彩・光の粒子に分解して出力されるような手法に感銘を受け、今回どうしてもご登壇いただきたくお声がけさせていただきました。自分の目や体を一つの版として捉えるという視点についても、お聞かせいただければ嬉しく思います。

上田:今日はたくさんの方にお集まりいただき、お話しする機会をいただきありがとうございます。

上田:私はアーティストとして、主に版画・写真・映像というメディアを使って制作しています。何らかの媒介を伴うメディアを使って制作しているということ、そして、最初の作品の着想の始まりが日々の些細な事象や痕跡を写し取るというところが、すべての制作に共通しているのかなと思います。

 

上田:経歴についてお話しすると、私は大学でファッションデザインを学んでいました。日本に帰国して服から展開させた作品制作をしていましたが、表現の幅に限界を感じるようになり、そんな中、ふとしたことがきっかけで銅版画教室に通うことになりました。版画は、痕跡を定着させることや現象を視覚化できるという点ですごくおもしろいメディアだなと思い、たとえば、息を吹きかけてそれを版画にできないか、足に銅板を貼り付けて歩いた軌跡を版画にできないか、みたいなことをやっていました。銅版画教室の先生に「そんなに版画に興味があるのなら、もう一度学校に入学してみたらどう?」と声をかけていただき、社会人を経て、大阪芸術大学付属の大阪美術専門学校の版画コースで2年間学びました。

上田:私にとって「版画とは」「版表現ってなんだろう」というところが制作の原点になっているのですが、みなさん、版画と聞いてどんなイメージを思い浮かべますか? 多くの方は、アンディ・ウォーホルのシルクスクリーンの版画や、葛飾北斎の木版画を想像するのではと思います。

上田:私は版画を「何かしら元があって、それを転写することで、生まれる痕跡」としてとらえています。そんな風に考えてみると、実は日常の中にもたくさん版画が存在するんじゃないのかなと。たとえば人の営みであったり、自然現象だったり、偶然の事象だったり、掲示物を貼り付けた後のテープや糊の跡だったり。風とか雨が作った痕跡みたいなもの、あるいは、人の社会生活の中で生まれたゴミとか落とし物も、ある意味では社会の版画、プリントとして考えられるんじゃないかなと思います。

 

上田:どうして自分が版画に興味を持ったのかというと、私自身がさきほど挙げたアンディ・ウォーホルや葛飾北斎のような有名な作品を見て版画をやりたいなと思ったのではなく、もともとは、ある1枚のコートが原点でした。

上田:ファッションデザインを学んでいた頃に「その人にとって意味のある服とはなんだろう?」と考えた時に、自分にとってのそれは祖母のコートでした。祖母が亡くなった際、形見分けで譲り受けたそのコートは、生前の祖母を包んでいた抜け殻のような存在でした。祖母はもういないけれど、コートがあることで、祖母の存在を感じることができる。そういうところが「もの」の持つ力であり、ないしは「痕跡」が持つ魅力なんじゃないかなと思いました。そして、痕跡と関連性の高いメディアはなんだろうと考えて思い浮かんだものが、写し取るという行為を内含する版画や写真、映像といったメディアでした。このように考え始めた経験が、版画への興味を抱くきっかけとなりました。

上田:簡単にこれまでのことを説明しましたが、ここからは今制作している作品についてお話ししたいと思います。まずは「#illusion #幻影」というシリーズです。技法としては、ミラーにシルクスクリーンでプリントしているものになります。

上田:もともとの着想は、混み合った場所や屋外など、通信制限がかかったときにInstagramを開くと現れるぼやけたイメージでした。ロード中のぼやけたイメージを見ている時、自分の中で勝手に「この画像はこういうものなんじゃないかな」という風に想像力で穴埋めをして、頭の中で現像していることに気付き、さらには、実際の画像が読み込まれて出てきたときには「あれ、全然思っていたものと違った」ということが何度か体験としてありました。

上田:「想像力で画像を迎えに行く」ように、ぼやけていてよく見えないからこそ積極的に対象を見ようとするんじゃないのか、という考えをきっかけに、このシリーズを始めるようになりました。人々は画像を見たいように見ると思いますが、それはまるで心理テストみたいだなと思っていて、今何を考えているのか、どういったものが好きなのか、その時の心情や今まで見てきた記憶といったものまで反映されているようだと思ったことから、(想像で補完された)画像は見る人を映し出す鏡みたいな存在だなということで、ミラーに画像をシルク印刷しました。

上田:続いての作品の「(sky)」は、紙に「サイアノタイプ」とシルクスクリーンを併用した作品です。ある夏、サイアノタイプを作ろうと思い、(サイアノタイプは日光で焼ける技法のため)毎日青空が出るのを待っていたんですが、曇りや雨が続いてしまってなかなか作業ができませんでした。日光がないとどうにもならないということで、頭の中では青空を思い描くのに、なかなか現実には現れないというやきもきした気持ちがあって、それだったら疑似的な青空を私が作り出そうという試みからこの作品は始まりました。インターネット上のライセンスフリー写真の一部を切り抜いて、そこだけサイアノタイプに変換して、周りの部分はシルクスクリーンで印刷をした作品になります。例えば、マンモグラフィーや木漏れ日、間欠泉の画像など、青空とまったく関係のない写真を持ってきても、一部を切り抜いて青く変換すれば青空のように見える。人間の想像力をテーマにした作品になっています。

上田:続いては「see in a new light」という作品です。これは銅版画の「アクアチント」という技法を使っています。銅板に松ヤニの粉をふりかけて、腐蝕させて濃淡を作る技法です。腐蝕させる時間が長ければ長いほど濃くなっていく技法がまるで光と影にリンクするなと思い、身の回りのいろいろな食器や文房具を集めて影をなぞり、制作した作品です。

上田:腐蝕止めには、ニスや防蝕剤を筆で塗ることが多いのですが、今回はシャープな輪郭線を出したかったので、シルクスクリーンの版を作り、油性インクで刷って目止めをしてから、腐蝕させて、目止めして、腐蝕させて……というのを繰り返すことで濃淡を作りました。作品の説明は以上です。本日から8月8日まで2階で展示していますので、ご覧いただけたらと思います。

上田佳奈 個展「版とうつし:不在の存在」 ※本展示は終了しました。

  • 日時:2024年7月31日(水) – 8月8日(木)
  • 会場:FabCafe Kyoto(京都府京都市下京区本塩竈町554)2F
  • 入場無料

▼イベントページURL
https://fabcafe.com/jp/events/kyoto/2408_kanaueda_exhibition/

 

上田:私自身、版画の制作を通して感じていることは、版と写しという関係性は、広義にとらえればもっといろいろなところに潜んでいるのではないかということです。また、版画を「情報の送り手と受け手が存在し、その間で情報や物質のやり取りや転写が行われることで生まれる『写し』や『痕跡』がある」ととらえると、そのやり取りの過程でエラーが発生することも当然あります。

上田:目の細かい版を使ったとしても、すごくザラザラした紙に印刷すると受け止める側の解像度が低いので鮮明な印刷はできない。そのようなエラーが発生した時こそ、「版という情報の送り手」と「支持体と呼ばれる受け手」の本質が明らかになるのではないかと思っています。エラー自体、普段は嫌がられる存在ではあるのですが、お互いのことを分かり合うためには歓迎するべきものかもしれない。人と分かり合えないことやコミュニケーションでモヤモヤしたことも、版画を通して考えると、そういった現象は当たり前で自然なことであり、私自身救われる部分があるなと感じます。

上田:このような「版」と「受け手」の図式を生活の中で探してみると、コミュニケーションだけではなく、受け継がれていく文化の型や様式、言語や概念、遺伝子にも通じるものがあるのではないかと思っています。私たちは、両親の「写し」として生まれ、そこにはエラーも発生して、突然変異も出てきたりする。私たちは、日常生活の中で「版」と「写し」というものに触れ、扱う存在であると同時に、私たち自身もまた「版」としての側面を持つ存在なのかもしれないと考えています。


山月:続いて、写真家の堀井ヒロツグさんにご登壇いただきます。

山月:今回のイベント「粒子と定着のその間」を企画したきっかけが、堀井さんの個展『身体の脱ぎ方 The way a body tired of meaning dances』に伺ったことでした。本日も会場に展示いただいていますが、写真や映像など、光の一粒一粒が重なり合い定着することが誰かと重なることのできない切実な表現に結びついているようで、「版画的」と一括りに表現するとこぼれ落ちるものも多いのですが、イメージが定着する瞬間を詩的に解釈する堀井さんのような眼差しを持ってシルクスクリーンと向き合った時に、そこでは一体どんな表現が可能になるのか大変興味が湧いたこともあり、今回ご登壇をお願いしました。

堀井:ご紹介ありがとうございます。堀井ヒロツグと申します、よろしくお願いします。

堀井:表現手法として写真と映像をメインにしておりまして、実はシルクスクリーンをやったことがありません。ですが、シルクスクリーンを「粒子」という言葉でとらえてみると、写真も基本的に粒子の表現なので何か話せることがあるかもしれない。ということで、本日は自分の作品を織り交ぜながらお話したいと思います。

曖昧さとは、ぼんやりとしていることではなく
多様な見方が存在するということ

堀井:そもそも、写真とか版画以前に、僕たちの視覚も粒子の集合が見せているんですね。網膜の中には、視細胞といって光を受光するための細胞があるのですが、その数、実は片目で1億個あるのです。つまり両目で2億個ですね。そう思うと、機材の性能で4千万画素とか5千万画素などと耳にしますが、やっぱり目ってすごい解像度の高さを持っています。余談ですが、昼間の光を見る細胞と夜の光を見る細胞は違うらしいです。

堀井:今回のFab Meetup Kyotoのサイトにも「かさなれない距離をかさねてみる」というタイトルで文章を載せているのですが、少し抜粋して読んでみますね。「曖昧さとはぼんやりとしているということではなく、そこに多様な見方が存在するということです。(中略)弱い線をいくつも引きながら、見ることの輪郭がその線たちに方向づけられていくこと。ずれを何度も引き直すことで生じる曖昧さが心を『生き延び』させるような気がしています」。「曖昧さ」という言葉と、「生き延び」という言葉が出てきました。僕自身、制作の出発点には、この曖昧な線がつくる境界と、生き延びへのふたつの目線があるように思っていて、それについてお話できればと思います。

堀井:「境界」と聞いた時、僕たちは線的な境界をイメージしますよね。「自分と他人の境界はどこですか?」と聞くと、皮膚を境界として答える人がすごく多いんです。でも境界って近付けば近付くほど、なくなっていくんです。「境界を見失う」に近いのですが、皮膚を作る細胞も、水分子が通り抜けられないぐらいの粗さでしかなくて、実際には放射線が通過できるぐらい隙間があったりする。だから境界は、どのように大きさや距離を設定するかで見え方と捉え方が変わってきます。

弱さや脆さに紐づいた価値があるとするなら

堀井:そのように物理的な境界もあれば、概念的な境界も、僕たちの生活のいたるところに存在しますね。そしてそれは、立場によって見えたり見えなかったりする。僕にとって、最初に意識された境界は、性別やそれに伴う役割を分ける境界でした。そして次に、生きるものと死ぬものを分かつ境界。

堀井:はじめて自分の作品らしきものができたきっかけというのが、20代の頃に友人を亡くしたことだったんですね。友人が亡くなって、お線香をあげるために彼の家まで行った時、身体という器があるだけでは自分たちは存在できないんだということを実感して、世界の見方が静かに変わったんです。

堀井:自分たちがいつか燃えて物質的なレベルで粒子になってしまうとしたら、そういうものがほどける前の状態として、今の自分たちや相手の存在がある。そして生きていることが保たれ続けるということは、安定しているように見えて非常に脆い。強く明るいような状態が賞賛される中、脆さという前提に立ったとき、そこにはどのような価値があるのだろうと考えるようになりました。

「遅さの感覚」に立つとき、遅延して見えてくるものがある

堀井:ところで、写真をやっていると、よくスナップ撮影をイメージされるのか動体視力や反射神経がいいんでしょうって言われるんです。でも、自分の場合はそういった素早さではなく、「遅さの感覚」が撮らせているんじゃないかなって最近気付きました。

堀井:「速さの感覚」は、何か出来事が起きたときに瞬時に反応することを指していると思うのですが、「遅さの感覚」とは何かというと、たとえばある場所に1時間身を置いてみることで、遅延してゆっくり見えてくるものがある。そういう風に、断片的ではない、もう少し長い時間の幅でものを見るということが、僕は結構好きだったんですね。

堀井:こちらの『水の中で目を瞑って手を繋ぐ』という作品では、タイトル通りのことをしています。2人の人間が水という――実はこれは川なんですけど――抗えない大きな流れに自分たちの体を浸しながら、目を瞑って手を繋ぐということをしています。同じことをやったことがある人は少ないんじゃないかなと思うんですけど、夏場、水遊びをする機会があったら、ぜひやってみてほしいなと思います。自分の意志で手を動かしていると思いながら、力を抜いていると川の流れによって流されていくんです。そういったことが、地上の世界でも、たとえば時間だったり政治的な大きな力だったりから受けていて、「目には見えない力の流れの中に自分たちもいるのかもしれない」ということを、写真を事後的に見ていて思ったんです。1枚1枚では起こり得ない写真の見方が、写真をグリッド状に並べていくことで、時間を別の次元から見下ろすことができるように。身体のつくる制約から目が離れたとき、こういう目はもしかしたら存在するのかもしれない。

堀井:よく、「身体は意味を持ちすぎている」と感じることがあります。たとえば、ひとりの人間には、あらゆる記号的な意味がついてまわります。性別、国籍、学歴、職業などという属性があって、自己紹介のときはその記号だけを並べることもあるのですが、でも、それではまったく自分を語っているようには思えなかったりもする。むしろ、自分を語ることによって語られなかった可能性が消えていったり、互いの関係性が自動的に決定されていってしまうような息苦しさを感じることがありました。

堀井:ここ数年、自分とはセクシュアリティが違う人との、まだこの世界にあまり名付けられていない親密な関係性を実践していくような数年間がありました。異なるセクシュアリティというのは、性愛が一致しないということですね。恋人でもない、かといって友人というにはとても近い関係があり、「これって何だろうね」という風に、自分たちの関係を定義するものやルール付けみたいなものがわからない時間を過ごしていたのですが、その時間から生まれた作品の話をしたいと思います。

堀井:『皮膚の思考(遅い鏡)』というタイトルなのですが、さきほど上田さんも鏡の話をしてくださいました。自分たちの姿だったり、自分たちの関係を見るときに、鏡はとても便利で、瞬間的に自分のコンディションのようなものが見えたり、そこに映るセルフイメージによって自意識が運営される。それに対して、僕にとって写真は、現像というプロセスを挟むので、もう少し遅い速度でイメージがやってくる鏡なんですね。

堀井:この作品では「長時間露光」というシンプルな技法で撮影をしていて、撮影時にはシャッターを1分間開けています。そのあいだに〈カメラの前に1人ずつ立って、そこに存在していた気配と身体を交わすようにコミュニケーションをする〉ということをしています。

堀井:なぜこういうことをしているかというと、一致しない性愛ということが前提となっている関係だったので――性愛が重なるもの同士であれば、自分たちの体が作る境界というものを超えるやり方がいくらでもあるかもしれませんが、自分たちの場合はそれが前提とされていなかったので――体の奥のたましいみたいな部分に触れてみる方法が必要だったのです。

堀井:あるとき彼が、ふたりが同じセクシュアリティだったらよかったのに、と言っていたことがあるんですね。そうしたらもっと関係が楽だったと。「好意が向かう先に身体が壁になっていて、その壁を越えることができない」という話だったんですが、だとしたら、体の奥にある場所に触れるにはどうしたらいいのかということを、いろんなバリエーションで試していました。

堀井:カメラには「シューティング」という言葉があるように、こちらからあちらに撃つような視線の動きがあるんですね。でも、1分間のあいだ、ピントもわからないくらい薄暗い中で、その場に残ってしまった光を集めていく。そこでは、まるで虫籠のように「入ってくるのを待つ」という、撮影の場に対して能動か受動か不明瞭になるような身体感覚が醸成されていきました。

堀井:最後にもう1つ作品を紹介します。『ミッドナイト・コール』という動画作品です。お互いが住む部屋にカメラをセットして、電話をする2人の姿を撮影する。それを1枚のスクリーンに重ねた動画作品です。今年の6月に京都の「PURPLE」というギャラリーで展示しました(堀井ヒロツグ 個展『身体の脱ぎ方 The way a body tired of meaning dances』)。実は、この作品を何度も撮影するうちに電話をしていることに飽きてしまって、電話するふりをして、お互いに相手のことを考えながら独白をしてみようと思いついたのです。繋がらない電話を持ちながら、不在の相手に向けて即興で5分間喋り続けるということをしました。実際の展示ではカーテンを挟んだこちら側からは僕の部屋を、向こう側から彼の部屋を投影し、2人の部屋が透過して見える構造になっています。

堀井:写真や映像は基本的に、鑑賞する正面があり、そこには表面と裏面が存在しているのですが、現実の僕たちには表と裏も存在しない。それでいて、視点を置く場所が違えば、違うものが見える。写真家の鷹野隆大さんの言葉に「ひとつの現実には無限のファンタジー」というものがあります。今回のイベントのオファーをいただいた時にも、シルクスクリーンという構造の中で、ひとつという視点をどう拡張していくことができるだろうかと考えていました。

堀井:ひとつきりの強い輪郭線を引いてしまうことによって、自分がそこから動けなくなってしまうことが、実はとてももったいないことなんじゃないかなと思います。絶えず自分の中を揺らいでいく曖昧な線を知るとき、本当は他人の中にも同じような曖昧さがある。そこには弱さだけが進める選択肢や価値があると思います。曖昧さ同士が結ぶ関係性のあり方や世界の見方というものに、引き続き関心を持っていきたいと思っています。

 

Fab Meetup Kyoto Vol.70 シルクスクリーン特集「粒子と定着のそのあいだ(後編)」レポートは、こちらからご覧ください。


  • 山本 博基

    株式会社色素オオタ・オータス 製造部長

    1988年4月19日生まれ、京都府京都市出身。
    2011年3月追手門学院大学心理学部心理学科卒業。2011年4月株式会社色素オオタ・オータスに入社。
    専用フィルムの改良、デジタル製版機の開発、改良を経験し、「シルクスクリーン印刷をもっと便利に、もっと快適に」を目指し日々奮闘中。

    株式会社色素オオタ・オータス Webサイト
    https://www.ohtas.co.jp/

    1988年4月19日生まれ、京都府京都市出身。
    2011年3月追手門学院大学心理学部心理学科卒業。2011年4月株式会社色素オオタ・オータスに入社。
    専用フィルムの改良、デジタル製版機の開発、改良を経験し、「シルクスクリーン印刷をもっと便利に、もっと快適に」を目指し日々奮闘中。

    株式会社色素オオタ・オータス Webサイト
    https://www.ohtas.co.jp/

  • 上田 佳奈

    アーティスト

    兵庫県出身。ロンドン芸術大学 Central Saint Martinsでファッションデザインを、大阪芸術大学附属大阪美術専門学校で版画を学ぶ。日々の些細な事象や痕跡を、版画、写真、映像などを用いて「うつし取る」ことで、日常を新たな視点から再解釈する作品を制作している。

    Kana Ueda
    kanaueda.tumblr.com

    兵庫県出身。ロンドン芸術大学 Central Saint Martinsでファッションデザインを、大阪芸術大学附属大阪美術専門学校で版画を学ぶ。日々の些細な事象や痕跡を、版画、写真、映像などを用いて「うつし取る」ことで、日常を新たな視点から再解釈する作品を制作している。

    Kana Ueda
    kanaueda.tumblr.com

  • 堀井 ヒロツグ

    写真家

    静岡県生まれ。早稲田大学芸術学校空間映像科写真専攻卒業。 最近の主な展覧会に「身体の脱ぎ方」PURPLE(2024)、「都美セレクション2023」東京都美術館(2023)。2013年に東川町国際写真祭ポートフォリオオーディションでグランプリ、2021年にIMA nextでショートリスト(J・ポール・ゲティ美術館キュレーター:アマンダ・マドックス選 )を受賞。

    Hirotsugu Horii / 堀井ヒロツグ
    https://www.hirotsuguhorii.com/

    静岡県生まれ。早稲田大学芸術学校空間映像科写真専攻卒業。 最近の主な展覧会に「身体の脱ぎ方」PURPLE(2024)、「都美セレクション2023」東京都美術館(2023)。2013年に東川町国際写真祭ポートフォリオオーディションでグランプリ、2021年にIMA nextでショートリスト(J・ポール・ゲティ美術館キュレーター:アマンダ・マドックス選 )を受賞。

    Hirotsugu Horii / 堀井ヒロツグ
    https://www.hirotsuguhorii.com/

Author

  • 筒井 みのり

    FabCafe Kyoto

    千葉県出身。多摩美術大学美術学部生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻卒業。人々のクリエイティブな活動をサポートするべくロフトワークに入社。FabCafe Kyotoにてカフェ兼ファブの運営に従事する。

    千葉県出身。多摩美術大学美術学部生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻卒業。人々のクリエイティブな活動をサポートするべくロフトワークに入社。FabCafe Kyotoにてカフェ兼ファブの運営に従事する。

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