Interview

2022.3.24

言葉で世界をつくるということ -つくるもの、つくるあたま番外編:幸村燕インタビューレポート-

FabCafe Nagoya Players Interview vol.3 /2022.03.25

あの疾走感あふれる文体、広範にわたる創作活動の源泉には何があるのか?
小説だけに飽き足らず自己啓発本の批判であったり、海外文献の翻訳を行うぬかるみ派を運営するなど、幅広い活動を行うクマ財団5期生幸村燕さん。独占インタビューを通じて彼の「つくるもの」としての真相に迫ります。


  • 幸村 燕 / Tsubakuro Yukimura

    著作『螺旋状の瞳』が「文芸思潮」76号にて全国同人雑誌推薦作に選出。

    毛沢東主義者とアナーキストの二つの立場からより良き社会を構築することを目指しながら、小説になにができるのかを模索している。その他の活動としては、自己啓発本やビジネス書を哲学や文学などの観点から検討する読書会をnoteで連載している。

    【受賞歴・活動歴】

    • 同人出版サークル「メルキド出版」にて文学フリマで活動
    • 「文芸思潮」76 号にて全国同人雑誌推薦作

    著作『螺旋状の瞳』が「文芸思潮」76号にて全国同人雑誌推薦作に選出。

    毛沢東主義者とアナーキストの二つの立場からより良き社会を構築することを目指しながら、小説になにができるのかを模索している。その他の活動としては、自己啓発本やビジネス書を哲学や文学などの観点から検討する読書会をnoteで連載している。

    【受賞歴・活動歴】

    • 同人出版サークル「メルキド出版」にて文学フリマで活動
    • 「文芸思潮」76 号にて全国同人雑誌推薦作

市川:幸村さんが制作する上で、どういったものからインスピレーションを受けているのか、伺ってもいいでしょうか。

幸村:20世紀のフランス文学に興味があって、言葉の自立というか、詩に近いような小説にかなり影響を受けてます。そこから、西野亮廣やひろゆきなど、時事的なものからの言葉遊びのような小説を制作しました。
ひろゆきの”論破”とか小泉進次郎の”トートロジー”みたいな、実在する人間の要素をキャラクター化したらどうなるかというのを、日常的なものから始め、色んな次元で試しています。

市川:以前FabCafe Nagoyaで開催した『つくるもの、つくるあたま展』プレイベントであるの際『準備運動としての雑談ー《つくるもの、つくるあたま》へ向けてー』に、映画からも影響を受けているという話をされていましたね。

幸村:そうですね、ゴダールに代表されるフランス映画からはかなり影響を受けています。今のハリウッド映画からみたら少しおかしいような場面の流れ、音の区切り方などを、わざと変わった形にするところとか。例えば、映画の中の音楽でいったら、曲がサビまでいったところでわざとその直前で止めるみたいなことをしているんですよね。そういう、流れの澱みをわざと作る部分には、とても惹かれますし、作品にも昇華させています。見る情景が映画っぽいというか。

市川:場面展開の切り替えが速い作品面は、ゴダールに似ているなと感じました。

幸村:ある場面とある場面を強引に交互に移すようなところとか、影響を受けていますね。小説だと、場面転換は映像作品と比べて難しく、強引にやると不恰好になるんですけど、それが面白いなと思っていて。敢えて不自然な感じを入れ込んだりしています。

市川:小説だと、主人公がずっと場面の中心にいるので、そういう意味で映画的な速さはないと思うんですけど、そんな中、幸村さんの作品では素早さを見事に取り込んでいて、とても斬新だなと思っていました。先ほど挙げたゴダールもそうなんですけど、なぜ、そもそもフランス文化に興味をもたれたんですか。

幸村:それは割とたまたまみたいなところがあって。

市川:たまたまにしては結構深い所までいきましたね(笑)

幸村:そうですね(笑)本当、最初に勉強しようと思ったのは、たまたまなんです。なんとなく選んだ第二外国語がフランス語だったので、そこから学び始めたんですよね。フランス語は、英語に比べて語彙数がとても少ないんですよ。17世紀にアカデミーフランセーズができた時に正しいフランス語みたいなものを制定して、それによって、機械的な、中央管理的に作られた言語という感じがする。
その特徴が、フランス文学に現れているというか。ソレルスのドラマとかもストーリーがあるわけではなくて、小説のシステムというか骨組みだけを取り出したというか。そんなシステマティックでニュートラルな、言葉自体に匂いがないみたいなところがすごい面白いなと感じています。
日本文学に対するステレオタイプなイメージでいうと、大江健三郎の作品には土っぽさみたいなものがあると思うんですけど、フランス文学にはそういう部分が少ない。システマチックで、尚且つ、純粋な言葉や言語で書かれている小説という点に魅力的に感じ、どんどん興味を惹かれていきました。

市川:それでいうと、日本語は語彙がたくさんあるので、書く人によって特性が出ると思うんですけど、フランス語だと割とみんな同じような文体になるんですかね。だから、場面展開とか構成を刷新することで、特徴を出していったみたいな部分ってあるんでしょうか。

幸村:もちろん、フランス語を使う人によって癖みたいなものはあると思うんですけど、少なくとも第二外国語の学習者としての目線で見ると、だいぶシステマチックに感じます。日本語だと、どことどこの文が繋がっているのかわからない、みたいな曖昧さがあるじゃないですか。でも、フランス語にはそういう曖昧さはなくて、そこを特徴化させていった結果、場面転換的なところで表現の差異化をしていったというか。造語を作って、そこで差異化させていくというものも、フランス語にはみられます。
日本語が敢えてカタカナなどを使って擬音語を表現することで、表音文字から表記文字へと向かっていったのに対し、その逆ですよね。表記文字である接頭語をガチガチに固めて造語を作ることで、音としての言葉に昇華させる。そんなところが面白いと思っています。

日常と共生する異質さ

市川:制作する上で「これは必要だ!」みたいなものはありますか?

幸村:ルーティンみたいなものなんですが、パソコンで書く時に、わざと負担をかける意味で、ちゃんと椅子に座って、テーブルの上にパソコンをおいて…という状況でしか、小説を書かないようにしています。

市川:場所も決まっているという感じなんですか?毎回違うカフェとか移動中とかでなく。

幸村:自分の家で書きますね。あと、自分は携帯のメモとかでなく、紙のメモ帳みたいなものを持っていて、カフェに行った時とか外出する時は、そこにメモをしています。それらを、後で自分の部屋で集めていく、という感じです。

市川:幸村さんの作品は場面転換が速いということもあり、刹那的なものを感じていたので、移動中だったりに書いているのかと勝手に思っていました。同じ場所で書いているというのは少し意外です。

幸村:制作は、色んな場所に行ったり思いついたりしたものをメモして溜めていって、それを書くときに配置していくみたいなことが多いですね。割と断片的な話が多いから、前別のとこにあった話をここに持ってこよう、みたいなパッチワークな感じもあります。メモにしたことは別々の場所で書いてたりするんですけど、それを繋ぎ合わせる場所が一箇所、という制作の仕方ですね。

市川:空間的にも時間的にも別にあるものが集まっているから、同じ場所で書いていても、読むと刹那的だったり、いろんな場所にいるように感じるんですかね。面白いですね。紙のメモ帳で書いているっておっしゃっていたんですけど、携帯で書いてない理由はありますか?

幸村:僕は、文字とか絵とかを書いたりするので、その時の筆の動きとか落書きとかそういったアナログで整いきっていないものから文章が浮かぶことを大事にしていて。綺麗じゃないものだったり、余白が自分に与えてくれるものだったり。これは、『言語的慣性ドリフト』という小説を書いている時のメモなんですけど、こうやって絵を書いたり。

市川:ほんとですね。水門とか、詳細に描かれていますね。そういえば、徳島の小説で思い出したんですけど、村上春樹の海辺のカフカも徳島にいきますよね。他の文章の引用と同様に春樹を意識した部分はあったんでしょうか。

「言語的慣性ドリフト」 幸村燕
https://note.com/amour08/n/n28c0b265a825

幸村:海辺のカフカだけは、村上春樹の中でも読んでいないので、影響はないですね。村上春樹は好きなんですけど、影響を受けすぎると村上春樹になっちゃうので、絶妙な距離感を取りたいというか。書く時に春樹を意識しすぎると怖いので、僕としては扱いづらいですね(笑)

市川:noteとか読んでると、この人春樹読んだんだろうなって文章ありますしね(笑)

幸村:すごいですよね。誰が真似てもそうなる文体でありつつ、オリジナリティがあるというか。憧れますけどね。

市川:そうしたら、徳島を題材にしたっていうのは別の理由があるんでしょうか。

幸村:徳島に『阿波しらさぎ文学賞』というのがあり、応募用件が徳島の何かを取り上げた作品ということだったので、鳴門海峡を題材にしました。割と徳島を書くためにという理由で書いたので、特殊なパターンですね。僕は普段、あんまり地名とか書かないので。

市川:ちょっと脱線してしまって悪いんですけど、地名を書かないということについて質問なんですが、幸村さんは都市にこだわりを持っていたりしますか?例えば東京に住んでることにフィーチャーして制作する、という人もいるじゃないですか。

幸村:これはすごく個人的な話になるんですが、僕は生まれは兵庫なんですけど、千葉県で育っていて、それでいて東京が近いのもあり、遊びに出かけるのは東京だったんですね。なので、土地に対するこだわりというのはあまりないんです。もう一つ言っておくと、僕の父親は日本人なんですけど、母親は日本で生まれた韓国人なんです。でも、韓国の教育でなくて日本の教育を受けて育ったので、どちらにも帰属意識がないというか、アイデンティティが曖昧というか。自分の場所という感覚がないという感じですかね。
今、僕は東京にいますけど、東京で生まれたわけでも育ったわけでもない。土地へのこだわりっていうと、あるっちゃあるけど直接的なものではなく、屈折したものです。でも、そういうところも引っくるめて、ある意味東京ならではの都市の拠り所のなさみたいな感じとリンクしているのかもしれません。

市川:全員ではないと思うんですけど、今回、他のクマ財団の方で、例えば中川朝子さんだったら名古屋に愛着があるというのは感じますし、天野真さんも都市、その中でも東京という街にアイデンティティを持っている印象があるじゃないですか。そういう中で、幸村さんみたいに土地やアイデンティティ的なものへのこだわりが曖昧だったり、なかったりすることで、かえって都市らしさを引き出せるというのはすごい面白いなと感じました。
それに関連して、他の言語で創作することに興味がありますかということを聞いてみたかったのです。フランス文学に興味を持たれているので、その言語で書いてみたいという気持ちがあるのかなと。もう一つは、先ほどアイデンティティが特定の場所にないって言ってたじゃないですか。そういう時に、ある種の居場所のなさみたいな所から、日本語にとらわれず、韓国語とかフランス語とかで書きたいという気持ちはあったりしますか。

幸村:興味としてはあるんですけど、やっぱり日本語で書いていきたいという気持ちがあります。というのは、僕は日常の中から出てくる異質なものの力や可能性に興味があるので。使い慣れているものの中の異質性というか、例えば、詩みたいなものは読めるし意味はわかるんだけど、さらっと読んだだけでは何かわからないじゃないですか。そういう意味では、自分は割と自分の言葉の中で、その決められたルールの中で逸脱したものに関心があります。
外国語で書いている日本人作家でいうと、白鳥健次さんという作家さんがいてイギリスの出版社で本を出しています。白鳥さんは、英語で執筆する中で、ネイティブが使わないような言葉を使うことでイギリスで評価されています。そんな点から、日本語ではなく英語で創作をすることで、イギリスの日常語であるものを内側から開き、日常の中の異質さを表現しているんじゃないかなと思っていて。そういう意味でも、日本語でまだできることがあるんじゃないかなと信じています。

対極にある最も近しいもの

市川:幸村さんの作品は、宇宙みたいに、誰からも離れたところにいるような感覚を覚えつつも、日常感も同居しているような不思議な感覚に至ります。孤独感と日常が一緒にあるみたいな。それは、日常で使われる日本語というものへのこだわりにも近かったりするんですか。

幸村:そういう部分はあると思います。普通の文章は色んな登場人物が交流しあっているのが多いと思うんですけど、僕が今書いているものは、”私”というものの内面にある、大量に集積している”他人”みたいなものを発見していくような文章なんですね。言葉を学習するってことは、人の真似じゃないですか。だから、”私”を形作っているものというのは、”他人”からもらった言葉の集まりだと思っています。そういう点から、複数の登場人物で会話させるのとは違う方法で、”私”の内側を徹底的に追求していくことにより、内側にない”他人”みたいなものが出てくるんじゃないかなと。逆説的でありつつ、確かにそうだなと思えるところを、割と意識しています。誰からも離れて浮世離れしたような感覚も、ある意味みんな共有している。矛盾しているけど、それをみんな内に秘めている。

市川:作品の主人公の個人的な経験が語られているはずなのに、まるで自分自身のことを記述されているように感じるし、人間一人の体験のはずなのに、宇宙のことも記述しているような気がする。対局にあるものから感じることってありますよね。町田洋さんの漫画を読んだときに同じようなことを感じていて、こんなやつなんですけど。

惑星9の休日 町田洋
https://www.shodensha.co.jp/wakusei9/

幸村:お、面白そう。惑星9の休日。

市川:もしお時間あったらぜひ読んでみてください。確かこれが処女作だった気がします。

幸村:今度読んでみます。こういう絵柄というか世界観のものは好きですね(笑)
漫画も好きなので、影響を受けてますね。色んな媒体に意識的に触れるようにしています。
今の時代は、小説じゃなくて、漫画でも映画やアニメでもいいじゃん、っていう感覚は多いと思うんですよね。だからこそ、小説を書く意味があるんだとしたら、漫画や映画にできないことを小説にはできるのかと問い続けないといけないと思っています。漫画や映画を吸収して、もしこの漫画にしかできないものを小説にしたらどうなるのだろうと、考えたり。

市川:誤解を恐れずに言えば、幸村さんの作品を読んでる時に、小説とは違う何か別のメディアだと感じていて。映画的な刹那さも持っているけど、映画よりも内面の記述が詳細というか、両方の間というか。小説でもあるけど、漫画でもあるようで、映画でもあるようで…。

幸村:そうですね、そういうところを目指しています。

言語のリズム、流れの澱みへの憧憬

市川:小説と映画と漫画でそれぞれ影響を受けた作品や人がいれば教えてください。

幸村:すごいマイナーなんですけど、フィリップソレルスの『ドラマ』という小説があります。これなんですけど。

「ドラマ」  フィリップソレルス
https://www.lehmanns.de/shop/literatur/43690798-9783596321483-drama

20世紀中頃くらいの作品で、これまでの小説の研究や定義が覆された時期の小説です。それまでは、作者がどういう意図で書いたかが重要視されていたんですけど、それ以後、作品が独立して、それを読者が読んでいくというか、そういうものへの評価が高まっていきます。もちろん、読者が好きに読んでくれていいんだけど、読者が読んでる体験みたいなものを、作品に反映させなきゃいけないよねっていう流れがあるんです。
そうなってくると、読書体験がオーケストラの楽譜と演奏者の関係のようになるんですよ。本が読まれることで、読者の中に文字が現れるような。そうなっていくと、演劇に近くなっていく。読者の体が舞台になって、文字が現れる。そういう文脈の中で、先ほど挙げた『ドラマ』という作品は、一つの固定したストーリーみたいなものがなく、常に物語が始まりそうな予感だけがするという(笑)
海辺に二人がいる情景だけがあって、次の瞬間にはそれがなくなっているような。常に舞台のセットが組み替えられる作品です。あとは、海のイメージが強いという側面があります。波の寄せては返すイメージが作品に反映されていて、僕が反復したり一つの統一されたものができたりしたと思ったら、それが次の瞬間には崩壊している文章を書くきっかけになったのは、この作品なんですよ。これは、”読む”という行為を通じて、言葉を演じていくというような新しい表現だなと感じています。こういうのは小説にしかできないというか。

市川:以前、幸村さんが作られた、人新世研究所が出てくる作品にも、そういう側面がありますよね。途中で魚人間が出てきたと思ったら、また違う話が出てきたり。

<<未来形現在>> 幸村燕中川朝子小説集 収録作品
「計画と新生」 幸村燕

幸村:この作品でいうと、東京タワーが出てきたと思うんですけど、そういう中心にあったものが解体されるみたいな動きが好きで、この作品だとそれを主題にしている部分がありますね。
登山をやっていたこともあって、例えば低気圧と高気圧の風の動きというような、ものの流れとか言葉の流れとかが崩れて、そしてまた集まって、交互にきて…。そんな動きが好きなんです。

市川:なるほど、ありがとうございます。小説はそういった作品が好きということでしたが、映画作品でいうとやはりゴダールですか?

幸村:そうですね、作品を一つ挙げるとするなら『はなればなれに』という作品が好きです。三角関係の男女の話で、お金が絡んで人が死ぬしょうもない内容なんですけど、音楽の使い方が斬新で、好きなんですよね。場面の切り替えに伴って音楽が急に止んだり、主人公たちの会話が聞こえていたのに、途中から周囲の人の会話や雑音が大きくなって、主人公たちの会話が聞こえなくなったり。この映画の不自然なリズムで紡がれる感覚というのは、自分の作品に影響を与えていますね。

『はなればなれに』ジャン=リュック・ゴダール
https://www.primevideo.com/detail/Bande-%C3%A0-part/0QSW8348GOAV4OV3QFKW8W5T73/ref=atv_nb_lcl_ja_JP?language=ja_JP&ie=UTF8

市川:先ほどからお聞きしていると、やはり場面転換が特徴的なものに興味があるんですね。

幸村:そうですね。書くときに、ここは一気に二行くらい読ませるとか、ここは読みにくくさせるとか、リズムを大事にしています。音楽のように言葉の流れの澱みを意識していますね。

市川:漫画だとどういうのが好きですか。

幸村:漫画全般好きなんですけど、その中でもギャグ漫画が好きです。笑いって、すごくテンポが重要じゃないですか。ギャグ漫画のリズムの作り方って、他の漫画と違い、オチや伏線をここで作るとか、コマの作りとか、ペースみたいなものをめちゃくちゃ考えて作られているものが多いように感じます。具体的な作品で言うと、ボボボーボ・ボーボボとかはめっちゃ好きです(笑)あれもコマ自体の速さを早くするために、一コマで男が前向いているシーンと横向いて突っ込んでるシーンが二つあって、一コマあたりのスピードが普通の漫画と比べて1.5倍くらいになっているんですよ。そういう視点から見ると、かなり面白いなと思います。

「ボボボーボ・ボーボボ」 澤井啓夫

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9C%E3%83%9C%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%9C-1-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9DIGITAL-%E6%BE%A4%E4%BA%95%E5%95%93%E5%A4%AB-ebook/dp/B00AF69HU8

市川:テンポなかったら割としょうもないというか(笑)お話を伺えば伺うほど、テンポやリズムという言葉がたくさん出てくるので、まるで音楽をやってる人みたいですね。

幸村:全然楽器弾けないんですけど(笑)

市川:すごい意外です(笑)音楽もやってる人なのかと思いました。歌詞はいつか描いて欲しいですね、そういうのは、書いてはいないんですか?

幸村:しないですね。興味はあるんですけど、恥ずかしいというか(笑)あ、でも、そうですね、実は、僕は元々、お笑いとかラップとかが好きで、ナイツの塙が音楽聞かない人は漫才上手くならない、みたいな名言を残していることからも、やっぱりテンポが大事じゃないですか、落語とかの話芸は。そういう話芸の中のリズム感は、間接的に音楽的な感覚と繋がっているのかなあと思います。

作品を通して社会を理解する

市川:幸村さんは、小説とは別に自己啓発本の研究もされているじゃないですか。ああいう社会学的なものをやる時と、小説を書くときのモチベーションは違うんじゃないか、と思っていて。どういうところから自己啓発本への研究に入っていったんですか。

幸村:そうですね、自己啓発本って読む価値があるものもあるけど、結構胡散臭いものもあるじゃないですか。オンラインサロンとかが宗教だと言われたりしていて。
でも、いってしまえば中身のない仕事論とか、そういうのを一緒くたにして、インテリだとか頭でっかちの考えだとかで笑い飛ばすことも可能ですけど、実際は、自己啓発の論理が社会を構成している面もあると思っています。オンラインサロンになぜ人が集まっているのかというのを理解しないで馬鹿にしたところで、何も解決しないわけで。一概には言えないけど、もし、それが間違っているんだとしたら、なんで間違っているのかを学んでいかなくちゃいけない。
自分には関係ないと笑い飛ばして目を背けていても、本当に社会を変えたいと思った時に、自分が何を嫌だと思っているのか、何と戦おうとしているのかを知らないままでいるというのは、不利なんじゃないかなと。
彼らを馬鹿にすることは簡単にできるけど、なんやかんや馬鹿にしているものが社会を動かしている。自分が今生きている世界を真剣に考えるなら、そういう一見自分と相容れないものを読み解いていかないとならないと思います。そして、それのどこがダメなのか、どこを評価するべきなのかを選り分けていくべきだなと感じたのが、自己啓発本研究を始めた動機ですね。
このモチベーション的なところは、小説を書く時にもあると思っています。どんな小説にも時代性があって、自分が生きている世界を知って、今が何から作られて、その時その瞬間がどう位置付けられているかを理解しないといけない。
自分の小説作品では、直接社会的な課題に触れたりはしないですけど、必然的にどんな文章でも社会的なものになりうるだろうという考えが、僕にはあります。だからこそ、自分が制作だけをして浮世離れ的になって、社会を見なくてもいいとなるのは、ただの自己満足でしかないよなって思っています。

市川:他の作家さんの話を聞いている時に、彼ら彼女らが実現したい、表現したい世界があって、それをどう社会と接続させるかみたいなところで悩んでいる人は結構多いなと感じるんです。それに対して幸村さんは、作品と社会をどう接続させるかを考えているというよりは、作品そのものを通して社会を理解し、その作品が全ての人にわかりやすい形ではないかもしれないけど、社会に一番近い形で接続されていっているということですかね。
あと、難しいだろうなってたまに思うのが、音楽をやってる人がメッセージ性のある音楽を作っていて、それを追求するがあまり音楽としての美しさが損なわれていると批判されることって、あるじゃないですか。もちろん、その逆もあると思うんですけど、それは文学の世界にもあるんじゃないかなと。
文学的な美しさもありつつメッセージ性も入れなければいけない。そこら辺の塩梅は、幸村さんはどうしていますか。

幸村:自分自身の考えとしては、まず社会を変えたいというのがあって。そのために、何故今自分は生きづらいのか、そして何故生きづらい人がたくさんいるのかというのを考えて、インプットして、アウトプットしていくという作業をします。
ただ、書いている作品に啓蒙的なものを入れるのは違うと思っています。自分が今まで作ってきた作品という媒体を通じて、何かに対して意義を唱えたり、社会に抵抗したい。政治的なものは姿勢で示していき、作品は作品の良さを追求していきたいと思っていますね。
フィリップソレルスの作品は、1968年の五月革命の頃、めちゃくちゃ学生運動をしている人たちに読まれていたんです。さっきお伝えしたように、ストーリー性があるわけではなく、前衛的な作品を書く人なんですよね。ソレルスはサルトルが言うように、小説で政治的なものを示していかなきゃいけないんだという、当時の実存主義の風潮に対抗するものとして出てきた人です。内容が啓蒙的であるものというのは、ある種プロパガンダと通じるところがあるのではないかと彼も言っていて。僕の好きなロラン・バルドは、フィリップ・ソレルスについての論文を書いていて、そこでは「書物を変えることは人生を変えることだ。」と言っています。
やはり、人は、言葉の集まりでできていて、その集まりが社会を作っているので、言葉の中に革命が起きれば社会全体の認識が変わるというか。新しい言葉ができれば、新しいレイヤーから世界をみることができるし、そういったことは言葉にしかできない。言葉という媒体にしかできない戦い方があるんじゃないかなって思っています。僕は、そういう意味で、姿勢で示すことを大事にしています。

市川:確かに、幸村さんの作品を読んでいる時に、直接的に啓蒙的なものはないけど、じんわりと感じるものがあるなと。他の人の頭に入るってことじゃないですか、小説って。そういう意味でも、姿勢で示すっていうのは、小説という媒体にすごく合っている気がします。

創作の到達点

市川:最後に、制作をする上で最終的な目標はありますか?

幸村:まず、プロの作家として仕事ができるようになりたいです。
文学の中でも、自分は純文学で勝負したいと思っているんですけど、その中で時代を代表するようなものを書けたらなあと思っています。
尚且つ、今の出版の制度というか、あり方を変えたいですね。日本だと、新人賞からデビューという流れがまだまだ王道ですけど、他の国だと、持ち込みからデビューだったり、最近だとネットで評判を読んでデビューとかもあるんです。もちろん、プロとして出版社として出したいなと思うんですけど、出版社からの作品だけに価値があるとは思っていないので、新しいプラットフォームにも挑戦したいです。そのために、雑誌を作ったり、いろんな人が文章載せられたりする環境を整備したり、自分でプラットフォームを作るのも面白いかな、とも思いますね。
制度自体を変えるというように、作品じゃない面で改革をして、作品は作品で面白いものを書いていくというのが目標です。

市川:なるほど、ゲームチェンジャーのような感じですかね。ゲームチェンジャーというか、そういうと啓発本的ですけど(笑)幸村さん、今日は長い時間ありがとうございました!また機会があればよろしくお願いします。

Author

  • 市川 慧 / Kei Ichikawa

    複雑系科学、計算社会科学を専門にする研究者見習い。FabCafeNagoyaから放牧され、ふらふらしている。 IACILSという謎の学会を立ち上げ、気まぐれに研究未満趣味以上の活動を不定期に行っている。Melt.にも参加していることに最近気づいた。 猫派だが猫アレルギー。最近メロンパンより空芯菜が好き。

    複雑系科学、計算社会科学を専門にする研究者見習い。FabCafeNagoyaから放牧され、ふらふらしている。 IACILSという謎の学会を立ち上げ、気まぐれに研究未満趣味以上の活動を不定期に行っている。Melt.にも参加していることに最近気づいた。 猫派だが猫アレルギー。最近メロンパンより空芯菜が好き。

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